のりりんの京都日和

京都府在住ののりりんの徒然ブログ

よいこの徒然草・第二十・二十一段

noririn_06102011-05-13

第二十段
なんという人だったか、ある世捨て人が「わたしはもうこの世には何も思い残すことはないが、ただ、この空と別れることだけはさびしい」と言ったといいますが、まったくわたしも同感です。

第二十一段
どんな時でも、月をみつめていれば心が慰められるものですが、ある人が「月ほど趣深いものはないよ」と言えば、別の人が「露のほうがもっと味わい深い」と言い争ったというのは、それは興味深いことです。その時々の心情に合わせて、何だって趣深くなるのです。
月や花はもちろんのこと、吹く風だけでも人の興趣をわきたたせてくれるようです。また、岩にくだけて美しく流れる滝川は、いつみても本当に美しいものです。「沅水や湘水は、常に東のほうに流れ去る。都の生活を恋しく思う私のために、ほんの少しでも流れを止めたりしないで」という詩を拝見したときは大変美しく感じ入りました。嵆康も「山や沢で遊び、鳥や魚をみていると、心が解放される」と言っていましたが、周囲に人もおらず澄み切った水と草が生い茂る場所を歩き回ることほど、心癒されるものはありません。

※「沅水や湘水…」=中唐の詩人・戴叔倫の詩。沅水・湘水ともに中国・杭州の河川の名。
 「嵆康(けいこう)」=中国・三国時代、魏の人で、竹林七賢の一人。『文選』より。