のりりんの京都日和

京都府在住ののりりんの徒然ブログ

お江戸散策・その2

さて、江戸城散策の続き。
前回までで歩いた行程は以下の赤矢印の通り。
すでにけっこう歩いてますね~(^^;)

皇居東御苑は朝の9時から拝観受付開始。
皇宮警察の婦警さんの手荷物チェックを経て中に入ることができます。
入ってすぐのあたりではなにやら工事が進んでますね。
皇室ゆかりの宝物を収蔵する三の丸尚蔵館の改築工事が2019年から実施されており、新館が去年オープンして宝物展示が再開されました。
現在は旧館が取り壊され、その跡地に2号館が建造中、オープンは2026年になるとのこと。
城内散策後に時間があったら入館してみようかな♪
で、その工事現場の先には同心番所、続いて百人番所の細長い建物。
番所は城内を警護する侍の詰所みたいなもので、同心番所より奥へ駕籠に乗ったまま通ることができたのは徳川御三家のお殿さまだけで、それ以外の大名はここで降ろされ検問を受けたそうです。
百人番所の方は城内警護の侍が常に100人常駐してたのでこの名があるそうです。

同心番所
百人番所

そのまま城内を時計回りに進んでいけば三重櫓の富士見櫓に最短のコースですが、あえて逆回りすることにして二の丸庭園方面へ。
都道府県の樹々が植えられた庭園ですが、今の季節樹々の葉がまだ落ちていて彩りが少ないのでスルー…と思ったら、唯一「大分の樹」豊後梅がキレイに咲いていました☆
右手に二の丸庭園、左手にお堀と本丸の石垣を眺めつつ奥まで進むと、また梅の花が。
梅見坂と呼ばれる本丸へと続く坂道は、徳川より前、最初にこの地にお城を築いた太田道灌(資長)が城内のこのあたりに天神さまの社を設けて梅の樹をたくさん植えていたそうで、その名残として現在も梅を植えているのだとか。
みごろは終盤といった感じですが、品種によってはちょうどみごろというものもいくつか♪
ことしはどこも梅の開花が早くって、その上休日の天候にも恵まれず、ここまであんまり梅がみれなかったボクとしては、2月の最終日にここに参拝できてよかった☆

二の丸庭園の豊後梅
高層ビルと豊後梅
梅見坂の梅
「思いのまま」

梅見坂を上ると本丸に入りますが、まず皇室の文書や資料等を管理する宮内庁書陵部の庁舎があります。
陵墓すなわち古墳なんかの管理もこの書陵部の所管だそうです。
で、その先に北桔梗門、東御苑の北の端っこ。
ここから出たら一般道をはさんで北の丸公園ですね。

北桔梗門

そして巨大な天守
前述の通り、江戸城を最初に築いたのは扇谷上杉氏の家臣であった太田道灌で、応仁の乱の少し前の1457年ごろのことです。
扇谷上杉氏は武蔵国を拠点とする戦国大名で、本拠地は河越城(埼玉県川越市)。
太田道灌がこの地に城を築いたのは、隣接する千葉氏の治める房総への備えとして、勢力の境界線だった利根川下流域に拠点を設けるためだったといいます。
その後、武蔵国は相模の北条氏(後北条氏)の侵攻を受け扇谷上杉氏は滅亡、江戸城も扇谷上杉氏を滅ぼした北条氏綱支配下となります。
そして、豊臣秀吉の小田原攻めの際に江戸城も開城、秀吉に関八州を与えられた徳川家康駿府からこの江戸城に入りました。
当時の江戸城は道灌による築城から時を経て荒れ果て、付近に茅葺の家が100軒ばかりあるだけの寂れたものだったといいます。
元々あったのは現在の本丸・二の丸の区域で、そこに家康は三の丸、北の丸と現在皇居のある西の丸を増築、堀なども移設して大幅に拡張、この時点で当時の小田原城大坂城にもひけをとらない大規模な城郭になりました。
関ケ原の合戦を経て江戸幕府が開かれると、江戸城は天下普請でさらに増築、江戸の町も整備されました。
慶長12(1607)年の天下普請の際に名手・藤堂高虎の設計で築かれたのが最初の天守閣です。
天守閣はその後元和年間・寛永年間に2度の修繕を受けましたが、1657年の明暦の大火で焼失。
世界三大大火にも数えられる大火事で江戸城を含む江戸の町の6割が焼失したといいます。
火災の後すぐに城の再建計画が練られ、天守も再建計画が出されたものの、軍学者によって天守閣は城の守りに不要とされ、また街の復興を優先すべしとの意見から再建されず、そのまま大政奉還となりました。
最初に建てられた江戸城天守閣は姫路城のような白亜の城だったといいます。
白漆喰塗籠に屋根瓦も木板の上に真っ白な鉛の板を貼り付けた鉛瓦、石垣も伊豆石の白い石が用いられていた、と。
家康が戦国時代を終わらせた「平和の象徴」としての白、あるいは多くの死者の上に建てられた城にあまたの死者を弔う墓標の意味合いを込めて「死に装束」の白を用いたともいわれています。
60mもあったといわれる純白の天守閣、みてみたかった☆
現在では名古屋城天守閣が空堀から続く石垣を含めて55.6m(天守台19.5m、建屋36m)で最大ですが、それよりもさらに高い!
しかも残ってる天守台は10mもないでしょう。
そんな巨大な天守閣がここにあったんだなぁと感慨深く天守台上から四方をみやります。
あ、大きな玉ねぎ(日本武道館)がみえる♪
あっちが北の丸公園
逆側に本丸御殿跡。
大奥とか忠臣蔵で有名な松の廊下があったところ。
二条城の二の丸御殿みたいな黒書院・白書院を備えた御殿もあったんでしょうね~。
今は芝生の広場があるだけですが…おや、2、3本だけキレイに花が咲いてる桜色☆
桜シーズンはまだまだ先だけど、早咲きの河津桜かな?
降りてってまぢかでみてみよう♪

天守
天守台上の遺構
天守台から大きな玉ねぎ
本丸御殿跡

桜色の1本は予想通り河津桜ですね♪
葉が出て来てみごろは終盤といった感じ。
あ、メジロちゃんが何羽も!
ことしはメジロちゃんに会えないかな~と思ってたけど、ここで会えたのはうれしい~☆
天守台からみて一番目立つ場所にあったもう1本は…河津桜じゃないですねぇ。
御苑の樹々にはどれも名札がついてて、それを確認すると椿寒桜という品種とのこと。
ぼんぼりのような花付きがおもしろいですね☆
さらにもう1本河津桜があるけど…ほとんど花が散っちゃって、残った萼の色ですか(^^;)

皇居東御苑河津桜
メジロちゃん
メジロちゃんの正面顔が好き♪
椿寒桜
椿寒桜と天守

本丸の石垣を上る細道を進むと樹々の生い茂った中に富士見多門があります。
多門とは櫓に準じる外部警戒用の建造物ですが、樹々がジャマで外観を撮影する場所がないですねぇ…
ここは建物内を拝観できて、窓から皇居・宮内庁のある西の丸方面をみやると富士山がみえるそうですが…残念ながら曇天でみえないや(^^;)
奥に進むと有名な松の廊下のあった場所ですが、石碑と案内掲示板があるのみです。
本丸御殿の見取り図では、玄関から大広間を経て白書院・黒書院へと続く廊下だったようです。
で、ようやくおめあて富士見櫓
現存12三重櫓のひとつで、天守閣より少し早い1606年に建造されたそのままの形で残っています。
櫓台石垣の建造に加藤清正が携わっていたとされ、その部分は城内の現存石垣の中でも最も古い石垣だそうです。
明暦の大火で失われた天守閣の代わりとしても使われていたとか。
とっても立派な櫓ですが…これまでの経験からもやっぱり櫓は城の外側からみたほうがそのかっちょよさを感じられる気がするなぁ(^^;)
最初に外回りを歩いたときにみえたポイント以外でどっかみえるところないんだろうか?

松の廊下跡
富士見櫓

入城した大手門の方に戻りましょう。
最初にあった同心番所・百人番所に詰める侍より高位の侍が詰める番所
サンシュユシナマンサクの黄色い花が咲いてます☆
椿も城内そこかしこに咲いてて、早春のこの時期の花々を網羅できますね☆
で、三の丸尚蔵館に戻ってきましたが、拝観待ちの列ができちゃってる(^^;)
しかたない、拝観は断念、またの機会にでも。
代わりにショップで収蔵品の障壁画の絵ハガキを買って帰ろう♪
春日権現験記絵」(国宝)のほか「花鳥十二ヶ月図」に伊藤若冲花鳥画と、いっぱい買っちゃったw。
ついでにウチの老父母にも東御苑限定のおまんじゅうをお土産に(^▽^;)
その後、ココを進んだら富士見櫓を外からみれるポイントに行けるんじゃないか?という道があるのをみつけました。
ただ、封鎖されててその前に警官が見張っています。
婦警さんにたずねてみました。

この道は工事で封鎖されてるんですか?それとも工事と関係なく封鎖されてるんですか?
宮内庁に向かう車両等のための道なので工事と関係なく常時ここで規制されています
この道を奥に進めば富士見櫓がみられるんじゃないかと思って…
それ、よくいわれるんですよw
日本全国に12しかない櫓をぜひとも外側からみたいと思いまして…
へ~、そういうものなんですね、道理でよく聞かれるとw

…なんてやりとり(^^;)
堀を渡ればもう皇居という場所、もうひとつの創建当初からの現存櫓・伏見櫓も一緒に、城の外側から一般人がみれるポイントはないみたいです。
まあ、それが確認できたことでよしとしましょうw。

番所
サンシュユ

場外に出たら11時前、外周を含めると3時間半くらいの散策でした。
そろそろ東京駅方面に歩いてって、昼食を食べて京の都に帰ろう♪
東京駅の丸の内口のむかしながらの駅舎の前を通り過ぎて、昼食は東京駅のとなりの「KITTE丸の内」っていうからゆうちょ銀行の建物かな?その地下にある「松戸富田麺絆」で「焼豚つけ麺」。
なじみの京都のつけ麺店「麺屋たけ井」でも使われてるつけ麺の超有名店「富田」の名を冠する店ということで、裏切らない麺のおいしさに濃厚なスープ、こだわりのチャーシューは千葉・柏の幻霜ポーク使用の4種盛り、もちろん\(^▽^)/ウマウマ~☆

東京駅丸の内口の駅舎
KITTE丸の内
焼豚つけ麺@松戸富田麺絆

帰りの新幹線は自由席でも座席の心配はナシ。
1本遅らせるだけで十分座れますしw。
ぴゅ~っと2時間半ほど、夕方には帰宅できたのでありました。

いやぁ、よく歩きました。
午後から雨の予報だったので午前中のみ、おめあては現存三重櫓と決めて散策しました。
江戸城の全容という意味では全然足りない。
尚蔵館も改めて拝観したいし、またいつか、可能であれば桜の季節に再訪して北の丸庭園や千鳥ヶ淵の方も含めて改めて行きたいなぁ。
その辺には以前に行ったことがあるといってももう20年も前の話だし(^^;)
翌日からはもう3月。
3月終盤には春の旅行の予定で4連休をもらっちゃいました。
去年行きたくって行けなかった高知に、現時点での桜の満開予想日の真っただ中に行く予定です🌸
あとは天気。
このお江戸散策もひと月ほど前から天気予報とにらめっこの日々でしたが、またさらにひと月ほど毎日のように天気予報を眺める日々が続くと思います。
その前に2月に行きたかったところもヒマをみつけて行っとかなくっちゃ(^▽^;)

(赤色が前回、青色が今回の記事の分の徒歩ルート)

※更新しました!
noririn-0610.hatenablog.com