のりりんの京都日和

京都府在住ののりりんの徒然ブログ

山と海と桃太郎・その1

というわけで、ことしの秋の旅行は岡山方面。
去年瀬戸内海の対岸のうどん県・香川に行った続きのようなものでもあります。
前回すでに旅行の計画については述べましたので、早速出発進行♪

25日の夜9時ごろに出発、目指すは最初の目的地・備中松山城、あわよくば雲海に浮かぶお城をみてみたい☆
ウチからお城のある高梁市までは、高速をぶっ飛ばして行けば3時間ほどで着くことができます。
到着が日付が変わる時間帯って早くない?
ボクもそう思ったんですが、備中松山城の雲海をみられる展望台にある駐車場にはクルマが3、4台くらいしか停められないらしい。
雲海が出そうな時は特に、すぐいっぱいになっちゃうとのこと。
いっぱいになった場合は付近の道路の片側に縦列駐車してもいいそうなんだけど、さすがに路上で車中泊はできません(^^;)
万が一駐車場に停められなかった場合はよそに行かなくっちゃいけないので、早めに着いておこうというわけ。
で、予定通り午前0時くらいに到着。
すでに1台クルマが停まってましたが、駐車場にも入ることができました♪
先に一度展望台を下見、駐車場から道路を挟んで徒歩1分w。
上下2か所に展望台のある木造の展望デッキがあって、真夜中なのに人がいるみたい。
真っ暗なので人と会うとちょっとビビります(^^;)
雲海はまだ全く出ておらず、街の灯がよくみえますね☆
ならばよし、とクルマに戻って夜明けを寝て待ちます。

今回の目覚ましは…鳴る前に起きちゃいました(^▽^;)
まだ夜明けまで1時間以上ある4時過ぎ。
となりのクルマも車中泊っぽいので、物音たてないように、これはこれでよかったのかもしれません。
早速三脚を担いで展望デッキに行くと、この前竹田城跡を撮りに行った時と同様、中天にオリオン座がみえます。
星はキレイだけど、山あいの森の中で空がひらけてみえるわけではありません。
…どこにお城があるのかさっぱりわからんなぁ(^^;)
日の出は6時半くらい、その1時間前には徐々に明るくなってきます。

備中松山城展望デッキから

写真ではわかりづらいですが、空にはオリオン座、右下に白い建物が小さく写ってて、これがお城です。
おNewカメラであてずっぽうフォーカス、ちょっと試してみたくってISOを最大に上げてから少しずつ下げて何枚か撮影しました。
最大値は32000、さすがにザラザラすぎ。上の写真で6400のハズw。
写真をかなり縮小してるのでそれほど違和感なくみることができる写真になりました☆
通常ISO400以下にしか設定しないのりりんですが、何でこんなことをしてるのかというと、ミラーレスのファインダーは液晶画面なので、実際に写真になる明るさでしかみえないんです。
肉眼でみえててもカメラの露出的に真っ暗ならファインダーも真っ暗。
近いものならストロボ撮影の際の補助光のようにちちちっとファインダー内が明るくなって一時的にみえるようになるんですが、遠景だとお手上げ。
当然オートフォーカスも真っ暗なうちはまったくピントを合わせてくれません。
光学ファインダーならそんなことはないんですが、この点ミラーレスのやっかいなところです。
今後夜景とか花火の写真を撮ろうとした時のためにこの辺のコツをつかむ必要があります。
露出開放・シャッタースピード30秒でも真っ暗な場合、ISO感度を上げればそれに合わせてファインダー内も明るくなって、オートフォーカスも利いてきます。
オートで星に合わせたフォーカスを、レンズのスイッチでマニアルフォーカスに切り替えて動かないようにする、と。
そんなことを試してたら徐々に明るくなってきました。
展望台が北北西を向いてるので今回は朝日が昇るのはみえません(^^;)

備中松山城展望台から・その2
備中松山城遠景

ん~、雲海は出てるんですがお城を覆うまで上には来ませんねぇ…
やっぱりしばらく雨が降ってないせいで湿気が足りないのかな?
まあ予想通りといえば予想通り、出てくれただけでもよしとしましょう♪

前回の竹田城の雲海撮影で覚えたことがもうひとつ。
雲海は夜明け前から出て、天候によるけど朝9時くらいまで残る。
お城の拝観は朝9時から、まだ2時間くらい時間があるので、WEB上で調べたほかの展望台に移動しよう♪
お城から雲海をくぐって高梁市の市街地、高梁川をはさんで西側へ。
平日なのであんまりのんびりしてたら通勤等で街が動き出して渋滞になったりしたら困るし。
ひとつ目は「霧の海展望の丘」。
駐車場があって、道路を挟んで向かい側の丘の上に展望台があります。
お城はみえないけど雲海の眺めがイイ☆
ここからなら日の出もみられたかもしれないけど、きょうの目当てはお城なので(^^;)

霧の海展望の丘から

もうひとつ、その名も「備中松山城を望む見晴らし台」。
展望デッキがあるけど…お城、どこ?
日が出てくると逆光でよくわかんないや(^^;)
雲海もほとんどみえないけど、うっすら2段目の丘の上、樹々の中に屋根らしきものが…写真でわかるかなぁ?
まあせっかくだし、ソリオくんの記念撮影w。

備中松山城を望む見晴らし台から
ソリオくん

さて、1時間ほどうろうろした後、入城に向かいます。
駐車場はお城の山の五合目にある「城まちステーション」にあって、そこからシャトルバスで8合目の「ふいご峠」、さらにそこから歩いて天守閣に向かうことになります。
歩いて登ることもできますが、4~50分ほどかかるとのこと。
さすがにそれは…体力も心配なうえ時間が惜しいのでやめとこう(^^;)

備中松山城天守閣は、ボクがこの3年ほど追っかけてる現存12天守の中で唯一の山城の天守閣です。
お城としては、鎌倉時代に築かれた砦がはじまりです。
戦国時代には21もの砦が築かれ山全体が要塞化されましたが、毛利軍の兵糧攻めにより落城。
関ケ原の合戦で毛利が撤退したのち江戸幕府から奉行として派遣された小堀正次・政一(遠州)父子が城の修改築を継続したそうです。
小堀遠州というと、ボク的には作庭家としての記憶しかありませんが、ちゃんと武士してたんですねぇw。
江戸時代、寛永年間に備中松山藩主に就いた水谷氏が城を大改修、その時に現在の天守閣や櫓など今も残る建造物が築かれました。
水谷氏が断絶した後、忠臣蔵で有名な赤穂の浅野氏が城の管理を引き継ぎ、家老である大石内蔵助が城代としてこの地に滞在したそうです。
幕末期は幕府老中の板倉勝静備中松山藩主であったことから薩長軍から真っ先に攻撃されるところでしたが、板倉家の家臣らが無血開城
このため城は無傷で残りました。
明治維新廃藩置県と廃城令の際に山麓の藩主の居宅(御根小屋)は破壊されましたが、山の上で不便であったことから天守や櫓は放置され、それが幸いしてこんにちまで文化財として残ることになったというわけです。

三の丸から追手門櫓、折り重なるような石段を経て二の丸、天守閣のある本丸へ。
このあたりを小松山城といい、最初に築かれた砦跡を大松山城というそうです。
ん~、小さいながら美しい天守閣です。
窓に漆喰塗りの格子があるのが特徴的ですね☆
…ただ、天守閣に上ると窓の外の眺めを楽しむのには向かないかなw。
本丸のすぐ後ろに櫓があるのもおもしろい♪
標高430mの城内は麓より秋色が深いですね~。いい風情です♪
…おや、このにゃんこがネコ城主のさんじゅーろー様ですか(^^;)

備中松山城天守
備中松山城天守
二重櫓
ネコ城主・さんじゅーろー様

ずっとみてても飽きない城内ですが、このまま歩き回ってると昼を過ぎちゃいそうだからこの辺にしとこう。
またいつかもう一度登城して、大松山城の方まで行きたいなぁ。

で、来た道を戻って山麓の城下町へ。
武家屋敷くらいはみとこうかと思って向かう途中に…頼久寺?名勝庭園とな?
そう思って立ち寄ると、前述の小堀遠州作庭のみごとな枯山水
なんか滋賀・甲賀市の大池寺の庭園に似てるなぁ☆
さつきの刈り込みのうねうね感が特にw。
お奉行やってただけでなく、ちゃんとお庭も残してたんですね~。

頼久寺名勝庭園

武家屋敷も見学、「旧埴原家」と「旧折井家」の2つがあります。
「旧埴原家」は寺院建築や数寄屋風の要素を取り入れた珍しいものだそうで、当時としては斬新な「かぶいた」建物という感じw。
一方の「旧折井家」は立派な門に書院造で質実とした感じ。
受付の女性から「室内の人形が動くので驚かないで」と言われましたが、思いっきりびっくりしたし(^^;)
ともあれ対照的な2つの建物でした☆

武家屋敷「旧埴原家」(室内)
武家屋敷「旧折井家」
「旧折井家」室内の動く人形

さぁて、午前中いっぱい備中松山城とその城下町を満喫して、次はどこに行こうかな~?

つづく。