のりりんの京都日和

京都府在住ののりりんの徒然ブログ

15年前

ボクはまだ学生でした。


阪神淡路大震災


京都は被害らしい被害が出ず、普通に通学の電車も走ってました。
ボクにとって震災が他人事ではなくなったのはその翌年、大学を卒業して就職してからのことでした。
ボクが大学卒業後就職したのは某テレビ局の報道でした。
被災地を歩き、人の声を聞きました。
それまでいかに自分が震災に無頓着だったのかを痛切に感じました。


きょうフジテレビ系列で震災当時の神戸新聞のカメラマンのドラマが放映されていました。
テレビから懐かしい人の声が聞こえてきました。
倒壊した高速道路、ビルの当時の報道映像。
ヘリ機内から現地リポートを送るのは当時ですでに定年間際のおじいちゃんカメラマンさん。
リポートなんてそれまでやったこともなかったそうです。
悲鳴にも似たそのリポートの声は今でも忘れられません。


死者6千人以上という数字。
多いんでしょうか?意外と少ないんでしょうか?
交通事故死者数が去年6千人を下回ったそうです。
年間の自殺者が3万2千人(平成20年度)。
先のハイチでの大地震では死者20万人との予測が出ているそうです。
さらに原爆や空襲と、人は数でその被害の大きさを語り、わかったような気になっていますが、実は何もわからないんです。


そこにいる人の悲痛や苦悶、それは数字では伝わらない。


ドラマでも描かれていましたが、瓦礫の下から次々と運び出される死体をみてカメラマンは「自分はここで写真(映像)なんて撮ってていいのか?」という気持ちになったそうです。
じゃあ、家一軒燃えてる火事なら少数だからいいのか?
被災者にとって目の前で思い出がたっぷり詰まった自分の家が燃えているところに平気でずかずか踏み込んで「いかがですか、今の気持ち?」なんてよく平気で言えるものです。
犯罪被害者・加害者も同様です。
震災のときに感じた「人の痛み」を15年たってマスコミはもう忘れているような気がします。
凶悪事件や大災害のときに幼子などにマイクを突きつけて感想を言わせるマスコミの無神経さは今後も続くでしょう。


人の痛みは数ではなく、また月日が消し去ってくれるものではない。


マスコミからはもう身を引きましたが、報道というものを考えるようになったのは15年前のあのころだった気がします。
それを思い出しさせてくれた、震災からまもなく15年目の夜でした。