のりりんの京都日和

京都府在住ののりりんの徒然ブログ

よいこの徒然草・第八十二段

noririn_06102013-12-16

「薄絹で飾られた巻物の表紙は、とても傷みやすいのが難点だ」と誰かが言ったところ、頓阿どのが「薄絹は上下が擦り切れて行くからこそ味があり、螺鈿の軸は飾りの貝が外れてしまった後に深みが出てくるものだ」と言ったそうですが、頓阿どののいうとおりだと思います。数冊綴りの本が同じ形に製本されなければ確かに見た目によろしくないといっても、弘融僧都が「物をひとそろえにしようというのはつまらない者がすることです。不ぞろいなのがいいのですよ」とおっしゃった言葉も、なるほどと思いました。
「何もかもが整えられているというのは悪いことです。やり残したことがそのままにしてあるからこそ面白味があり、将来に命が永らえるのを期待できるやり方なのです。内裏を造る時にも必ず未完成の部分を残しておくものですよ」とある人がおっしゃっていたそうです。過去の賢人の書かれた経書も、章段の欠けているものが多く残されているのです。

※「頓阿」=俗名・二階堂貞宗。兼好の友人で遁世者、当時の代表的歌人
 「孔融僧都」=仁和寺の僧。

〜☆〜★〜☆〜★〜☆〜

3ヶ月ほどご無沙汰していた徒然草です(^^;)

何もかもカンペキに整っていると確かに少々不気味にも感じることがあります。
「ここは大丈夫だったっけ?」などとかえって不安になることも。

ことしもあと残すところ半月ほどとなりました。
ことしやりたかったのにやり残したこともいろいろありますが、そういうものがあるからこそ「来年こそは!」という気持ちになるものですね。

ことしのうちにやっておきたいこと、やらなきゃいけないこと、もちろん残された時間の内に精一杯やっていこうと思いますが、やれずじまいになってしまっても、それもまたくよくよせずに来年に向けての目標になればいいですね☆