のりりんの京都日和

京都府在住ののりりんの徒然ブログ

うつくしきもの

国語世論調査 「ら抜き表現」容認−8.5ポイント増毎日jp
http://mainichi.jp/select/today/news/20090905k0000m040081000c.html

うつくし

現代の日本語では普通に「美しい、綺麗」という意味で成人女性に対しての賛辞や自然風景などに使われますが、『枕草子』の「うつくしきもの」に代表されるように、元々は「かわいい」の意味で主に子供・赤ちゃんなどに対する形容詞でした。
言葉の用法は日々変化することの証です。

しかし…
単純に誤用である場合、そうはいいきれません。
ただの無学、読書不足のそしりを免れないと思います。

ボク個人的に大嫌いなのが「ヤバい」という言葉。
ボクがはじめてこの言葉の用法に「おや?」と思ったのは、数年前に旨い食べ物を食べてそれに対して「ヤバい!」と某TV番組でジャニーズのタレントがいったのがはじめでした。
(誰だったかは忘れましたが、TOKIOかV6の誰かだったハズ…)
その後なんだかよくわかりませんがとにかくスゴいものや旨い食べ物に対してこの「ヤバい」を使う人が爆発的に増えた気がします。

ヤバい」の本来の用法としては、例えば泥棒が犯行中にパトカーをみかけて

ヤバい、ズラかれ!

…のような感じで、元々は危険を察知した時に使われるものです。
当初件のタレントが使った際はニュアンスとして「ヤバい、これはハマってしまうほどの旨さだ」という使い方をしていたように記憶しています。
つまり「ハマってしまうという危険を感じているということでこれまで通りの使い方だったわけです。
しかし、最近ではその前後(危険の察知など)の脈絡がごっそり抜け落ちて、ただものすごいものに対する形容詞として使われている気がしてなりません。
話の脈絡がない(つかみにくい)、物足りない感じが大変不快です。
この言葉を使う人の頭の中にはそういう流れがあるのかもしれませんが、聞き手側にそれはそうそう伝わりません。
そういった過度な省略は人間関係を空疎にします。
察しろ」「空気読め」などと相手に理解を強要し、それができない相手を疎んじる。
自分は相手に理解してもらう努力をしていないのに「相手が理解できないのが悪い」と不遜な態度に出る…
昨今の世間の人間関係を垣間見るようです。

聞く相手に不快感を与える言葉、それは変化と呼んではならないと個人的に思います。
言葉とは相手に自分の気持ちや意思を伝える手段です
敬語が使えない人が増えているといいますが、聞き手に合わせた言葉を使うという意識が低下しているのではないでしょうか?

「自分バカ」にならないためにも、伝える相手の方を向いて話すことを心がけたいものです☆