ようやく年末からの連勤を無事(?)終えて、夜勤明けから12・13日は連休。
正直体力的にも精神的にも限界一歩手前って感じ(^^;)
まあ、しっかりゆっくり休まないとな~。
ことしこれまで初詣で今宮神社、瀧尾神社に参拝しました。
去年の初詣では岡崎神社、上賀茂神社と下鴨神社、さらに宇治神社・宇治上神社を参拝。
宇治の神社を参拝したのは国宝建造物巡りの一環だったんですが、その際改めて参拝したら意外とそれらの神社のことをよくわかってなかったことに気づきました。
さらに5月の藤森祭で藤森神社と伏見稲荷大社の不思議な縁を知って。
8月五山の送り火の際にも平野神社やわら天神を参拝。
改めて、これまでに参拝したことのある神社でもよくわかっていないことが多いことに気づかされた2023年でした。
年が明けて2024年、この流れを継続して、京都の神社、特に歴史の古い社を改めて参拝してみよう☆
題して「京都の神社・再発見」の散策をしようと思い立ちました。
そして最終目標は愛宕神社!
そう、愛宕山上に鎮座する古社。
しっかり体力を増強して愛宕山踏覇を目指します。
でもその前に、きょうは去年5月以来改めて参拝しようと思ってた藤森神社に参拝。
正月も11日ということで、参拝人もまばらで静かな境内です。
改めて、藤森神社にはスサノオノミコト、ワケイカヅチノミコト、ヤマトタケルノミコトに、神社を創建されたという神功皇后などが祀られています。
今宮神社、瀧尾神社からスサノオつながりでこれで3社目ですね☆
神代の昔から鎮座する京都でも屈指の古社。
勝運と馬の神さまとして有名で、競馬ファンなんかが特に参拝する神社です。
絵馬舎には往年の競馬馬の大きな絵馬があったりw。
ボク的には5月5日の藤森祭・駈馬神事のほか紫陽花の名所として何度も参拝しているなじみ深い神社。
でも、やはりこれまでの神社参拝で培った知識をもって改めて参拝すると、本殿・拝殿に限らず周囲の摂社末社もまた違ってみえてくるから不思議なもの。
神功皇后の子である応神天皇を祀る八幡宮や名前が気になる霊験天満宮といった摂社、これまで見落としていた気がします(^^;)
むかしばなしで藤森の宮司さんをだましたというお稲荷さんもありますねぇw。
こうした神社のおおらかなところが好きです♪
年が改まってしまったけど、去年から改めてしっかり参拝しようと考えていたのを果たせて満足満足♪
ホントはもうこれで帰宅しようと思ったんだけど、まだ10時過ぎ。
昼食を食べるにも早すぎるので、あと1件くらい行ってみよう。
そう考えて向かったのは、同じ伏見区内の御香宮神社。
こちらも長らくご無沙汰してた社です。
まあ、安産・子育ての神さまですから基本あんまりご縁がない(^^;)
ご祭神は藤森神社に続いての神功皇后と、ダンナの仲哀天皇、子の応神天皇など。
改めて参拝すると、南側の境内入り口に伏見城の大手門の遺構が残っていたり、本殿・拝殿の装飾の美しさに眼を見張ります。
駐車場は近年キレイに改装されたようですね。
そして伏見の酒蔵を支える「御香水」。
…初めて参拝したわけでもないのに、何この新鮮な気分(^^;)
神功皇后は三韓征伐の折に懐妊しており、戦のなかでの出産を回避するため石を抱いて出産時期を遅らせて無事凱旋したといわれています。
そうして生まれたのが応神天皇というわけですね。
このブログでも祇園祭の船鉾・大船鉾との関連等で記載した(ハズの)伝説譚です。
はい、出産経験がある女性の方など特にツッコミを入れてやってください。
「そんなわけあるかいっ!」
石を抱いたら出産時期を遅らせられるって、神さまならまだしも人の身でそんなことができるわけがないでしょう。
ボクは神話を否定する気はさらさらありませんが、これでも歴史をこよなく愛する愛好家。
歴史はすべて人がなしたことです。
仲哀天皇から応神天皇の間で皇統が断絶しているとする説があります。
一応仲哀天皇が「崩御した」ちょうど十月十日後に応神天皇が生まれたことになっていて、つじつまは合ってることになっていますが。
要するに応神天皇は仲哀天皇の子ではないと考えるべきでしょう。
そうした歴史の真相はともかく、神話上ではそうまでして応神を生んだ神功皇后はまさに「神のごとき功績」のある女性であり、応神天皇は後に男系断絶した仁徳天皇皇統と現在まで続く継体天皇皇統の共通の男系祖先として、歴代のほかの天皇以上の特別な皇祖神、八幡神として崇敬されることになりました。
京都にもたくさんある八幡宮に神功皇后を祀る社、それらは実はそれまでの皇統にとって代わった新しい王朝の神々、そこまで言わなくても中興の祖といわれるべき日本の歴史において特別なポイントとなった事象を今に伝える遺物、なのかもしれません。
ボク個人的な感想を言わせてもらうなら、この仲哀天皇と神功皇后、応神天皇の関係は中国・秦の荘襄王と趙姫、始皇帝の関係に似てる気がするな~、と。
始皇帝は荘襄王ではなく呂不韋の子、みたいな。
違うのは秦が30年ほどで滅んでしまった一方で日本の皇統は現在も脈々と続いてる(ことになってる)ということ。
国家(政府)というものはいつの世も国民をだますものですから。
昼食は近鉄伏見駅前の「セアブラノ神・伏見剛力」で「特製背脂中華そば」すっきり淡麗な醤油味のスープにたっぷり豚背脂で濃厚な味わい、レアチャーシューも生っぽい食べにくさがなく\(^▽^)/ウマウマ~☆
ん?レアチャーシューだけでなく煮豚にもできるの?
今度機会があったらそっちも試してみよう♪
というわけで今回はこれにて撤収。
あしたも京都の神社再発見、行ってみよう♪