籠神社、真名井神社をあとにして、さらにその数百m先に麓神社というのがあるらしい。
特に参拝を予定してたわけじゃないけど、ついでだから(失礼!)行ってみよう♪
細い参道を進むと草深い中に小さな社があります。
わざわざ来る必要はなかったかなぁ?
天橋立や籠神社に関係ある社かと思って来たけどよくわからない。
ご祭神もわからないし…社に掲げられた額には北?麻?大神と書かれているけどなんて読むんだろ?
そもそも「麓(ふもと)」って何?
天橋立が立ってた「麓」なのか、社の後ろにそびえる山々の「麓」なのか…
説明の立て看板等もないですねぇ…
ウチに帰ったら調べてみよう♪
(これがまたとっても興味深いものだったこと、後述します。)
(この日記をその1・その2に分けたのもそれが理由です。)
そんな麓神社、裏山の方に進んでいくと千体地蔵と呼ばれる石仏群があるらしいのでそちらにも行ってみましょう♪
ことし中の愛宕山登山を目標にしているので多少の坂道山道・石段は躊躇せずにずんずん上ります!
こちらには立て看板があります。
「難波野(なんばの)の千体地蔵」というらしいです。
「野」とつく古い地名、これだけでも興味津々ですねぇ♪
丹後のこのあたりはわかりませんが、京洛の周辺で「野」と名のつくところはたいがい死体処理場だったりします。
鳥辺野、紫野、化野(あだしの)に嵯峨野…
それはさておき。
立札によると、江戸時代にこの麓神社周辺=難波野から成相寺(のちほど紹介します)にかけての地域で周辺におびただしい数の石仏が出土したことからそれらを集めて、またほかでみつけた石仏なども合わせて千体地蔵としたといいます。
像が彫られた時期などは記されていませんが、戦国時代以降のものが多いそうです。
立ち並ぶ石仏に夏草が茂る風情、イイ感じです♪
で、ここからしばらくは帰宅してから調べた麓神社の話。
やはり籠神社とは縁が深いらしく「その1」でも紹介した籠神社のHPに麓神社の例祭についての記述があります。
※籠神社HP
www.motoise.jp
麓神社のご祭神は億計王(をけのみこ)・弘計王(おけのみこ)の二王子(後の顕宗天皇・仁賢天皇)と二王子の曾祖父である仁徳天皇で、麓神社は二王子が都から逃れ宮を営まれた所と伝えられます。
「を」と「お」、呼び名(発音)をどう区別してたのか気になるところですがそれはおいといてw。
なぜ都から逃れたのかというと、雄略天皇からの迫害をおそれたためです。
雄略天皇が第二十一代で顕宗が二十三代、仁賢は二十四代の天皇。
雄略の父が十九代の允恭天皇で、兄は二十代の安康天皇、次いで皇位を継いだのが雄略天皇です。
一方の二王子は十七代履中天皇(允恭天皇の兄)の子の市辺押磐皇子(いちのへのおしはのみこ)の子(履中の孫)です。
雄略と市辺押磐皇子はいとこの関係で、雄略からすると二王子は「いとこの子」というわけ。
ややこしいのでWeb上にあった系図を参照してください(^^;)
記紀によると…
雄略天皇の先代で兄の安康天皇は皇族の眉輪王(まよわのおおきみ)によって暗殺されました。
眉輪王の父の大草香皇子(おおくさかのみこ)は罪無くして安康天皇に誅殺され、母の中蒂姫命(なかしひめのみこと)は安康天皇の皇后に立てられ、眉輪王は連れ子として育てられたとのことで、強い恨みを抱えていたことは想像に難くありません。
安康天皇は後継に兄の子である市辺押磐皇子をと考えていたようですが、これを不満に思った雄略が皇子を暗殺、ほかにも数々の粛清を敢行したその上で即位しました。
このため皇子の子の億計・弘計の二王子にも迫害が及ぶおそれがあったために都から逃れてこの地に匿われたというわけですね。
何とも深い歴史の話に出くわしちゃいました(^▽^;)
もともと高校で日本史の授業を受けておらず、これまでも中学の社会科以上のことは独学でやってきてるので、まだまだ勉強不足なのを痛感します。
で、これだけで終わりません。
二王子をこの地に匿ったのは豊受大神を祀る丹後の豪族・今田三郎だといいます。
この今田三郎、浦嶋子(うらしまこ)の弟とされています。
浦嶋(島)子とは『日本書紀』の「雄略天皇記」に登場する奇談の主人公であり、説話の内容がおとぎ話の「浦島太郎」そのままであることから、むかし話の原型となったといわれています。
ってことは、浦島太郎に弟がいて、その人に二王子が助けられたってことになるんですか?
さらに調べていくと、丹波の地にはいくつもの浦島太郎伝説とその遺跡が残っていることがわかりました。
ちなみに籠神社は「丹後国」一之宮ですが、もともと両方の地域を合わせて丹波国と呼んでいたのをのちに丹波・丹後国に分けられました。
吉備国が備前・備中・備後の3つに分けられたのと同じですね。
代表的なのは宮津のとなり町、丹後半島の伊根町。
舟屋群から少し北上すると、その名も浦島神社という神社があって、近くに浦島太郎が竜宮城へと旅立った砂浜「本庄浜」というのがあるらしい。
浦島太郎すなわち浦島子は丹後を治めていた日下部氏の先祖といいます。
ん~、これまた興味深い。
帰宅してから知ったことだけど、行く前に知ってたら絶対伊根町、浦島神社にも参拝しただろうに(^^;)
また近いうちに丹後の浦島太郎伝説をめぐる散策をしたいなぁ☆
夏ごろもう一度丹後に来ようかな♪
とまあ、小さな社に大きな大きな神話や歴史・伝説についての学びがあることを改めて痛感したわけであります。
当日の散策に話を戻しましょう。
麓神社と千体地蔵をあとにして、来た道を戻って。
籠神社を通り越して向かうは傘松公園。
天橋立を俯瞰で眺められるスポットです。
山上の傘松公園に向かうケーブルカー・リフトの駅が籠神社のすぐ近くにあります。
籠神社参拝と合わせてぜひともみたかった絶景がここに☆
当初少し雲が多いのが少し残念と思ってたけど、どんよりしてた空に日差しが出だしてイイ感じ♪
傘松公園からの天橋立は、反対側の天橋立ビューランドの「飛龍観」に対して「昇龍観」というそうです。
…なんか某格闘ゲームの必殺技みたいだw。
最近リニューアルしたっぽい山上駅周辺。
最近ココで股のぞきをやってるところをふざけて落下事故が起きたとか。
この傘松公園が股のぞき発祥の地らしいですが、もちろん一人で来てるボクはそんなことする気にもなりませんw。
股のぞき台にはしっかり「手すりを持ちましょう」とか「押したりしないように」みたいな注意書きが(^^;)
若狭湾に浮かぶ冠島の遥拝所もありますね☆
島は舞鶴市に属しますが、真名井神社同様に籠神社の奥宮とされているほかオオミズナギドリの繁殖地として鳥獣保護区に指定されているため無断上陸が禁止されているそうです。
籠神社の現在の主祭神・彦火明命が天界から降臨された地とされているほか、件の浦島太郎伝説にちなんで「竜宮島」と呼ばれていたりと、かなり神秘的な島です。
駅からさらに石段を上っていくと少し古びた展望台が。
おお、傘松公園に傘松w。
さらにこの公園から成相寺行きのシャトルバスが出ていますが、歩けば30分ほどかかるとのこと。
さすがに時間がもったいないのでいったん公園から下界に降りて、改めてクルマで成相寺に行くことにしました。
帰り道はケーブルカーではなくリフトで♪
天橋立の絶景を眺めながら下るリフト、気持ちいい☆
というわけで、リフトで下った山を愛車ソリオくんで上ってって成相寺。
西国三十三所第二十八番札所の寺院で、これまでに何度か参拝したことがあります。
はじめて参拝した時に秘仏の聖観音さまが御開帳されてて、美しい観音さまだなぁと思ったのを覚えています。
その後、平成20(2008)年から2年間にわたって西国三十三所結縁御開帳があった際、当初「仏像なんて写真も撮れないし、わざわざ御開帳に合わせて参拝する気になれないなぁ」なんて思ってた中で、成相寺の美しい観音さまにはまたお会いしたいと思って御開帳を拝観、それが結局三十三所のほぼすべての御開帳拝観へとつながりました。
(紀三井寺だけ逃しましたw。)
西国三十三所開設から1200年、改めて仏さまとの縁を結ぶための結縁御開帳。
そのご縁が実体験として結ばれたと感じたのがこの成相寺なのです。
西国三十三所のほかの札所寺院よりも特別な思いのあるお寺です。
鐘楼の脇からのびる石段を上っていくと唐突にど~んと構えている本堂。
新緑がまぶしい境内。
かっちょいい双頭の龍のお手水。
本堂に入ると厨子は閉じられてて、金ぴかのお前立さま。
鐘楼の方に引き返す前に、寺務所の前の庭園をのんびり散策してたらお坊さんとわんこを連れたおばちゃんが。
「次に御開帳があるのはいつですか?」と尋ねてみました。
「33年に1度ですから2038年ですね」とお坊さん。
「また合同の御開帳があるかもしれないけど、それがなければふつうは開けないわね~」とおばちゃんw。
14年後…ボクが65歳になるころか(^^;)
次は来れるかどうか…
ボクが初めて成相寺に参拝したのは19年前(2005年)の御開帳だったということが同時に確認できましたw。
で、鐘楼からさらに下ると平成五重塔と「底なしの池」。
…とその前に、弁天山の展望台へ。
五重塔を高台から拝観できると同時に天橋立も俯瞰できます♪
お寺の境内をクルマでさらにと上っていくと「日本一の景観」といわれる展望所がありますが、そこにもひけをとらいない見事な景観をみることができます。
これみたら上に行く必要ないかもw。
五重塔は平成10年に建てられた新しいものですが、鎌倉時代の様式が再現された美しい塔で、個人的にもお気に入りです♪
鎌倉時代というと…海住山寺の国宝の五重塔あたりがモデルかな?
なんか似てる気がする。
そろそろお昼時、何食べよう?
水曜日でこの界隈のラーメン店はお休みばかりですねぇ…午後からも天橋立付近を散策したいから離れた場所に行くわけにもいかないし…
海辺の街に来てるんだから海鮮丼食べよ♪
ということで、籠神社の門前に戻って「つるや食堂」で「丹後お宝丼」丹後の名産、白イカとバイ貝、アカモク(海藻)の海鮮丼は歯ごたえが楽しく大変おいしゅうございました(^▽^)ウマウマ~♪
…しかし飲食店はやっぱり水曜休みが多いから、できれば別の曜日に散策したいところですが、なかなかそこまで考慮してたら散策の機会を今以上に失っちゃいそうでそれはムリですね(^^;)
その3につづく。