のりりんの京都日和

京都府在住ののりりんの徒然ブログ

よいこの徒然草・第三十三段

noririn_06102011-06-08

花園天皇が新しく富小路の内裏をご造営されて、朝廷の役人たちにおみせになったところ、いずれも問題なしということで、いよいよ遷宮の日も近づいたとき、玄輝門院さまがこれをご覧になり「閑院殿にある櫛形の穴は、上が半月型で丸く、縁はございませんでしたわ」と仰せられたのは、たいへんみごとなことでした。
この新しい内裏のものには切り込みの部分があって木で縁がしてあったため、間違いとして作り直されたということです。

※「玄輝門院」=後深草天皇の妃で伏見天皇の母、藤原愔子。閑院殿は内裏の外に設けられる臨時の内裏だが、玄輝門院が14歳の1259年に焼失して以後再建されなかったことから、富小路の内裏造営(1317年)まで最低58年間も意匠を記憶していたことになる。

※写真はイメージです。