のりりんの京都日和

京都府在住ののりりんの徒然ブログ

よいこの徒然草・第十段

noririn_06102011-04-18

住まいは理想通りの形であることが、それが現世の仮の宿だとしても、いいものです。
君子がのどかに住んでいるところは、差し込んでくる月の灯も、別格に見えてしみじみとしています。現代風でなく輝きがなくても、立木は長寿となり、手を加えてない庭の雑草も風情ある景色となり、すのこ、垣根の立ち位置はほのぼのとし、そこにある道具も長年使っている名残のまま安らかであるからこそ、深みが出てきていいのです。
それに対して、多くの匠が腕を尽くして磨きあげていき、中国の、日本の、と珍奇な貴重品を並べ立てて、庭園の草木にまで手を加えて自然のままにせず築造するのは、みるからに無残で、痛々しいものです。そうまでして長生きして住み続けたいのでしょうか。これも、あっという間に煙となって消えてしまう運命であるのは、一目みて明らかなことだと思うのです。大方の人間は住まいをのぞきみることで、その人柄を見極めることできます。
後徳大寺の大臣が、寝殿にいる鳶を追い払おうとして縄を張っていたら、西行法師がそれをみて「鳶がいるというだけで、なんでそんなに苛立つのでしょう。こちらの殿のお心なんてその程度だったのですね」とその後お邪魔するのをやめたそうです。綾小路宮さまが小阪殿の棟に参ったとき、いつだったか縄が張ってあったのでこの話を思い出して聞いてみると「それはですね、カラスが群れておりまして、そいつらが池の蛙を捕ってしまうので、それをみると悲しまれるものですから」とのことで、なるほどと感心したそうです。徳大寺にもなにか理由があったのかもしれませんね。

※後徳大寺の大臣=藤原実定。祖父(藤原実能)との区別で「後」をつけ呼ばれた。
 綾小路宮=亀山天皇の第十二皇子・性恵法親王妙法院京都市東山区)の門跡。
 小阪殿=妙法院内にあった院のひとつ。

※写真は妙法院庫裏です。