のりりんの京都日和

京都府在住ののりりんの徒然ブログ

新緑の散策

葵祭の見物を断念したのはもう1週間前ですが、まずは振り返り。
祭前日の14日に一緒に仕事した同僚が先月末に足を痛めたそうで。
3日ほど痛かったけど休日で痛みが引いて出勤してきたらしいんだけど、朝事務所に入ってきたところから顔面蒼白。
歩くたびに激痛が走るそうで、出勤でもうダメだったらしくって。
仕事中の階段昇降もとってもつらそう。
クルマに乗り込むと痛みが収まるらしくしばらくすると元気を取り戻してきましたが、少し歩くだけでまた激痛とのこと。
正直出勤すべきではなかったと思うし、翌日以降も休んだ方がいいと本人にうながしました。
そんなわけで、15日はその同僚が休む代わりに出勤となったわけです。
自分で休むように勧めておいて「祭をみにいくから休む」とは言えなくって(^^;)
ちなみにその同僚は大事を取ってとりあえずひと月ほど休むことになりました。

5月に入って5日の藤森神社のお神輿を撮りに行ったほかは勤務が立て込んでて、母の通院サポートなどもあってお出かけの機会に恵まれてきませんでした。
きょうも予定通りの休みではありませんでしたが、天気はそこそこよさそうなので、ちょっと散策に出かけよう♪
牡丹以降旬の花を逃してきちゃいましたが、新緑がキレイな季節ですし☆

最初に向かったのは詩仙堂(丈山寺)。
新緑もさることながら、そろそろさつきの花がみごろなんじゃないかな~♪
京都の街中でもさつきの朱色がそこかしこにみられてますが、もうみごろ過ぎ。
街中でみごろが過ぎたころに詩仙堂ではみごろを迎えますので(^ー^)
開門の9時に合わせて境内に入ると、額縁のような石庭にさつきのまぁるい植え込み、なじみの風景です♪

詩仙堂の庭
詩仙堂の庭のさつき

ん~、咲き具合は五分といったところですかね~。
それでも例年より1週間ほど早いように思えます。
スリッパをはいて境内を散策。
予想通り新緑がキレイですね~☆
さつきの頃に参拝すると咲いてることが多い京鹿の子はまだつぼみ。
茶室(残月軒)の脇の白い花、たくさん咲いてるけど何ていう花だろ?
まだまだ知らない花も多いなぁ(^^;)

詩仙堂境内の新緑
残月軒と白い花
白い花、誰か名前教えて(^^;)

小さな池に杜若も咲いてていい風情。
このお寺、やっぱり好きだなぁ♪
詩仙堂」の名前の由来の漢詩の絵図(狩野探幽三十六詩仙」)は相変わらず読めないけど(^^;)
篆書だもん、しかたないよねw。

続いて詩仙堂のすぐおとなりの八大神社へ。
宮本武蔵一乗寺下り松の戦いゆかりの神社で、以前参拝したことがありますが、そういえばご祭神とかよく知らないから改めて参拝してみよう♪
ご祭神はスサノオノミコトとその奥さんのクシナダヒメと、その8人の子、すなわち八王子。
八坂神社から勧進されて祀られているそうです。
どうも京都にある「八」と名につく神社はスサノオ、八王子を祀るもののようです。
ボクが知ってる限りでは八坂神社と八大神社、そして大将軍八神社があります。
ほかにもあるのかな?
元々牛頭天王を祀る社に八坂神社(祇園社)のスサノオ勧進を受けて習合されたみたい。
現在ではスサノオ牛頭天王で同一視されていますが、牛頭天王はもともとお釈迦さまの生誕地の祇園精舎の守り神。
この辺を深堀するとえらいことになりそうなくらいややこしいみたいなので、いずれまた調べてみよう(^^;)

八大神社
宮本武蔵

さらにてくてく北に歩いていって圓光寺
詩仙堂に負けず劣らずの紅葉の名所です。
過去に一度だけ、もう10年以上前に参拝したと思いますが、その時は確か紅葉の夜間拝観だったような気が…
よく覚えてません(^^;)
最近SNS映えのお寺としてよくみかけるようになりましたねw。
徳川家康により慶長6(1601)年に足利学校の学頭であった閑室元佶が招かれ伏見城下に伏見学校円光寺として建立されたのがはじまりといいます。
その後京都御所の北側にある相国寺山内に移されたのち、1667年に現在のこの地に移転したのだそうです。
入り口(正門)から庭園風の参道が美しく、その先の石段を上るといきなり豪快な庭石が並ぶ石庭「奔龍庭」。
東福寺龍吟庵龍吟庭に似た小堀遠州風の石庭です。
…って、前に来た時こんな庭あったっけ?
全然記憶にないなぁ…と思ったら2013(平成25)年に設けられたそうです。
そういや前に参拝した時にしばらく拝観できなくなるって話があって、ならばと思って拝観したのを思い出しました。
その際に設けられたんですね、きっと☆

圓光寺正門
奔龍庭と瑞雲閣(宝物庫)
奔龍庭

続いて本堂、書院から十牛之庭、こちらはよく覚えていますw。
新緑が美しいですね~☆
日射しに輝く緑は癒しの色♪
書院の座敷から、さらに庭に降りて癒しの風景を満喫します。

圓光寺「十牛之庭」
緑の中のお地蔵さん
新緑と応挙竹林
書院と新緑

お庭の散策から境内の奥の方に進んでいくと高台に徳川家康にちなんだ東照宮があります。
その脇には家康公の歯を埋葬したお墓があります。
家康公の遺言に基づくものだそうですが、そんなものが京都にあるなんて知らんかった(^^;)
高台からは京都市街を一望できますが…ちょっと草木に視界をさえぎられるのが残念w。

東照宮
東照宮付近より

そろそろお昼時が近づいてきました。
昼食は一乗寺ラーメンストリート…から少し離れた叡山電鉄修学院駅前の「らぁ麺とうひち」で「鶏醤油らぁ麺・豚チャーシュー増し」濃い口しょうゆ味のスープは鶏のダシでより香り高く、豚チャーシューは口の中でとろける絶品\(^▽^)/メチャウマ~☆
もともと北区にあったお店が移転してきたは前からのお気に入り店…ですが、このお店に限らずラーメンはいつも食べられる大衆食というより一種のぜいたくなランチになっちゃいましたねぇ(^^;)

鶏醤油らぁ麺・豚チャーシュー増し@らぁ麺とうひち

これでウチに帰ってもよかったんですが、帰り道にどうしても寄っておきたい神社が一件。
八代神社もそうでしたが、京都の神社再発見の意味でも改めて参拝しようと持っていた吉田神社です。
節分の追儺式でしか境内を訪れたことがなかったので、ことしの節分以降ずっと改めて参拝しようと思ってたのにこれまで機会がありませんでした(^^;)
京都大学の校舎の間を抜けて広い参道、ここに屋台が立ち並んでないところをはじめてみましたw。
こうしてみると広くて長い参道ですね~。
けっこう参拝客がいるな~と思ったら、どうも大半が修学旅行か何かの学生さん。
京大の学校見学も合わせてしてるのかな?
進んでいくと二の鳥居と石段。
石段を上ってまずは本殿へと進みます。
ここも福引所が設置されている中人でごった返してるところしか知らないので広々とした感じが新鮮です♪

吉田神社、一の鳥居
手水舎と二の鳥居
三の鳥居、本宮
幣拝殿から4つの本殿

節分の時に気づきましたが、吉田神社のご祭神はタケミカヅチノミコト
国譲りの出雲神話の中でオオグニヌシの子のタケミナカタを決闘で打ち負かしたおっそろしい武神さまです。
藤原家の氏神でもあり、奈良の春日大社に祀られて平城京の守り神となりましたが、長岡京建都の際に大原野神社(京都・西京区)として分祀、そして平安京建都の際に分祀されたのがこの吉田神社です。
その後、室町時代には宮司吉田兼倶吉田神道唯一神道)を創始しました。
今でいう神社本庁みたいなものでしょうか?
藤原家=公家全般のの尊崇に加えて江戸時代になると幕府から全国の神社の神職の任免権などを与えられ、幕末に至るまで神道界に大きな権勢を誇ったといいます。
斎場所大元宮に祀られる主祭神・虚無太元尊神の周りにはその虚無太元尊神の作用によって生じた天神地祇八百万大神の他、全国の神々を祀っていて、この大元宮を拝むことは日本中の全ての神社を拝んだことに等しいとし、神社自体の格も伊勢神宮よりも上であるとされました。
何たるチート神社w。
1200年の歴史を持つ京の都、その歴史の徒花のような神社に思えます。
そんな大元宮は八角形の本殿に六角の後房をつけるというほかではみられない様式の建造物で国の重要文化財に指定されていますが、残念ながら間近でみることはできません(^^;)

春日大社とのつながり、鹿の像
斎場所大元宮

この大元宮は吉田神社末社ですが、ほかにも摂社末社がたくさんありますね~。
本殿の近くに幅1m足らずの急こう配の石段があって、その上にあるのが神楽岡、その横に若宮社でこれらは摂社ですね。
若宮社を参拝しようと思ったら女子中学生の修学旅行生?が数人。
ここってお寺?神社?
鳥居があったから多分神社
みたいな会話(^^;)
引率の先生がいないみたいなので「神社ですよ」と教えつつ、ご祭神が島根にいた神さまを信州諏訪まで追いこんでとっ捕まえた強い武神さまで、大仏さまのある東大寺のとなりの春日大社から都の守り神として遷されてきたことなどを少し話して差し上げました。
将来少しでも神社仏閣に興味を持ってもらえればいいかなぁ、なんて(^^;)
さらに境内の奥に進みましょう。
吉田神道創始者吉田兼倶を祀る神龍、お菓子の神さま・菓祖神社
さらに進むと竹中稲荷社とあるので行こうと思ったら、その前に宗忠神社というのがあります。
これも摂社末社の類かな~と思って入っていくと、どうも別の神社みたい。
黒住教の教祖である黒住宗忠を祀る神社…なんか新興宗教っぽいですね(^^;)
黒住教のはじまりは幕末で、天理教金光教と共に幕末三大新宗教のひとつだそうです。
宗忠の死後、神道界で大権を振るっていた吉田家によって「宗忠大明神」の神号を与えられ、吉田神社のあるこの吉田山に宗忠神社が創建されたといいます。
なかなか興味深い話ですね~。
ボク個人的に、神社参拝は歴史の前の神話の時代を知るきっかけになるかもと思ってここまできましたが、逆に明治の国家神道以降のことには興味がないというか避けてる部分がありました。
神社を知るためにまずは江戸時代まで時間を巻き戻そう、と。
江戸末期にこうした新宗教の動きがあったことなどよく知らない話なので、今後の課題としておきましょう(^^;)

宗忠神社

山側からこの神社に入ったのでよくわかりませんでしたが、この宗忠神社の北側の正面に大きな石段があって…あぁそっか☆
見覚えがあると思ったら真如堂に行くときにみえるあの石段、神社か!
吉田神社からずんずん山を上ってきたけど、全然場所の間隔がなかった(^^;)
こんな場所に出てくるんですね☆
(ここまでけっこう歩いてきたので件の石段を下るのはやめときましたw。)
で、最後に竹中稲荷社、こちらは吉田神社末社です。
単なる小さな社ではなく立派な稲荷社です。
社殿の周囲には伏見でよくみかける「お塚」もたくさんあります。
立派な社ですが…裏にもうひとつ社がありますね。
こちらは竹中、ではなく竹劔稲荷とありますが…なんかこう、異世界に迷い込んだような感覚(^^;)
寂れて、小さな祠が壊れてたりして少々薄気味悪い雰囲気。
大岩神社に参拝した時に似た感覚かなぁ(^^;)
ちょっと調べると「霊感が強い人は…」的な記述がありました。
参拝される際にはご注意をw。

竹中稲荷神社
竹中稲荷神社
祠の向こうに大文字
「お塚」と寂れた境内
竹劔稲荷神社

で、最後にことしの節分のとき同様南側の石段から吉田神社を出ようとしたら…ヘンなところに社があるのを発見☆
参道が雑草で覆われてて人の行き来がないみたい。
けっこうキレイな朱塗りなのに…
なんかこれも不思議スポットですねぇw。
でも社の名前すらわからん(^^;)

雑草の中の社
南側の鳥居から退出

午前中は雲が多いものの日差しも差し込んで、新緑を楽しむのにイイ日和でしたが、午後はくもり空。
それでも神社参拝だけなら問題なしと午後まで歩き続けました。
吉田神社は奥が深かったですね~。
ことしこれまでに行きたいと思ってて行けなかった場所がいくつかあるけど…
次は行けるかなぁ?