のりりんの京都日和

京都府在住ののりりんの徒然ブログ

よいこの徒然草・第七十段

元応の時、清暑堂での神楽に使う、名器と謳われた琵琶「玄上」が紛失した後のころのこと。菊亭の大臣が「玄上」に次ぐ名器「牧馬」を弾こうと、座に着いて、最初に柱を整えていたところ、その一つが床に落ちてしまいました。ふところに糊をお持ちだったので、それを使って取りつけたところ、ご神前に供え物が持ち運ばれている間に糊はしっかりと乾いて、滞りなく演奏を終えたのでありました。
しかし、何か恨みでもあったのでしょうか、見物していた貴婦人が、顔を布で隠したまま側へと寄ってきて柱を取り外し、また元のように床に置いてしまったとのことです。

※「元応」=1319〜21年、後醍醐天皇のときの元号。ただし、この話は文保2(1318)年12月の後醍醐天皇即位の際の大嘗会中のこと。
 「清暑堂」=平安京大内裏の豊楽院にある堂のひとつで、大嘗会の神楽が行われた。
 「玄上」=「牧馬」とともに古来宮中に秘蔵された琵琶の名器。1316年に盗まれ、1319年5月に発見された。
 「菊亭の大臣」=藤原兼孝(かねすえ)。太政大臣西園寺実兼の四男で当時は権大納言(のちに右大臣・太政大臣を歴任)。琵琶の名手で、菊亭と号した。
 「柱(じゅう)」=琵琶の鹿頸に固定させて左手の指で音程を作るための具。4つある。

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琵琶という楽器を細かくみたことがないので「柱」というのがどんなものかよくわかりません。が。
貴婦人が気の利かない人だということはよくわかります(^^;)