のりりんの京都日和

京都府在住ののりりんの徒然ブログ

よいこの徒然草・第二十八・二十九段

第二十八段
天皇が喪に服す年ほど、どことなく張り詰めたような、そんな寂しさを感じることはありません。
お篭もりになられる仮御所は、板敷きを地面に降ろし、通常竹で編んでいる簾は葦の粗末なものをかけ、その上に引き渡す布も粗末にみえるほど地味なねずみ色のものを使い、道具も簡単なものが用意されています。その場に仕える人々の装束、太刀、平緒まで普通とは異なるその様子は、何とも畏れ多く厳粛に感じられるものです。

※「天皇が喪に服す」=兼好法師の経験としては、1319年、後醍醐天皇の生母・談天門院藤原忠子が崩御した。


第二十九段
一人静かに考えると、何事につけても過ぎ去った日々への恋しさだけは、いかんともしがたいものです。
人々が眠りについた後、長い夜の慰みごとに、身の回りの持ち物を整理し、残しておく必要もないだろうと思われる不用品などを破り捨てていると、もう亡くなってしまった人の、文字の練習をしたり絵を描いて遊んだりした時の紙が出てきて、その当時のことで胸がいっぱいになってしまいます。
亡くなった人はもちろん、まだ生きている人からの手紙であっても、疎遠になって久しいと、これはどんな時に届いたものだろうか、どの年のことだったかな、と思案してしみじみ物悲しくなります。故人の使い慣れた遺品に情無く、変化もなく時を経ること、それがとても感慨深いのです。

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その人にもう二度と会えない悲しさというのはいかんともしがたいですね。

実は数ヶ月前、父方の伯母が他界しました。
前にお会いしたのは2009年の4月の法事のとき。

この時誰よりも「ヨメをみたい」「なぜつれてこなかった」と言っていたのがこの伯母でした。
今にして思えば、それはまるで死期を知っていたかのように。

このことが悔やまれてなりません。
そしてそれは金輪際決して取り戻すことができないと確定してしまっている。
何とも切ない気分です。

いつか必ず、親子3人でお墓参りに行こう。