のりりんの京都日和

京都府在住ののりりんの徒然ブログ

備後旅・その3(鞆の浦散策)

2日目は4時起き。
素泊まりのお宿はチェックアウトも24時間体制で、どんなに早くっても大丈夫。
朝風呂に入れなかったのがちょっと残念だけど(^^;)
行き先は3度目の福山グリーンライン
場所も十分把握して、再度朝焼け撮影に挑戦!

まだ星がみえる早朝
まもなく日の出
ちょっと雲が多い日の出
鞆の浦の日の出
余韻

日の出のあとは鞆の浦散策。
大小の島々で複雑に起伏するため海流が激しいこのあたりの海。
陸地を目印とした沿岸航海が主流の時代、沼隈半島沖の瀬戸内海を横断するには鞆の浦で潮流が変わるのを待たなければならず、古代より潮待ちの港として知られていたそうです。
そうしてかつては瀬戸内海交通の要衝として栄えた地域ですが、陸上交通の発達、さらには動力船が用いられるようになった近代以降は寂れてしまったようです。
それでも古い漁港の街並みが残っており、観光名所となりました。
サザエさん』のオープニング映像で使われたり、近年では宮崎駿監督の『崖の上のポニョ(2008年)』の構想を練った地として有名になり、映像作品のロケが増えているとのこと。
ちなみに先ほど朝焼けの写真を撮った際にクルマを停めた駐車場は「ポニョの駐車場」という名前がつけられていますw。
こんな景勝地は歩いてナンボでしょう☆
沖にある仙酔島行きの渡し船平成いろは丸」の出る乗船場のヨコにある駐車場から三日月のように湾曲した海岸沿いを、岬の先っちょの高台にある姫神までてくてく。

平成いろは丸
漁港の奥に淀姫神社、さらに玉津島
古い街並み
街並みと常夜灯
学校に行く時間
姫神
姫神社からの風景

姫神社のご祭神は淀姫命ヨドヒメノミコト)で、三韓征伐を行った神功皇后の妹。
はじめは渡守神社(わたすじんじゃ)の祭主を務めていましたが、後に氏神として奉斎され、鞆湾の入口を守護する守り神となりこの神社に祀らるようになったそうです。
豊臣秀吉の側室の淀殿とは何の関係もありませんw。
じゃあその渡守神社も参拝せねば…と思ったら、ここまで歩いてきたのと真逆の方向(^^;)
今度は山側の道をてくてく歩いて散策してみよう♪
山の中腹にあるのが医王寺
弘法大師開基の古刹で、境内からの眺めがイイそうなので参拝してみよう。
お寺までの坂道ですでにけっこう疲れてます(^^;)
おっかしいなぁ、坂道の街っていうと尾道のハズなのに、尾道に着く前からこんなに坂道だらけとはw。
本堂脇からさらに石段の細道を15分ほど上っていくと太子堂というお堂があるそう。
上ってやろうじゃん!
ずんずん石段を上ること583段(わざわざ一段一段に数が刻まれてますw)。
ふひふひ、着いた♪
かつて研究のためにこの地を訪れたシーボルトも絶賛したという絶景、ひと汗かいた身に朝の風が心地いい☆

医王寺
太子堂
太子堂からの眺め

医王寺から山沿いにたくさんお寺が並んでますね~。
ひとつひとつちゃんと参拝すると時間がいくらあっても足りないくらいなので、入り口だけちょっとおジャマしつつ先に進みます。
ん?道端に「山中鹿之助首塚」ですって。
戦国末期「我に七難八苦を与えたまえ」と誓って毛利に滅ぼされた尼子氏再興に尽力した武人。
首塚がこんなところにあるなんて知らんかった(^^;)
すぐそのヨコに「ささやき橋」なんてのがある。
応神天皇のころっていうからほとんど神話の時代、百済からの使節の接待役だった武内臣和多利と官妓の江の浦がそれぞれの役目を忘れて夜な夜なこの橋で恋を語り合っていたそうです。
そのことが噂になって2人は海に沈められてしまったといいます。
何でそこまでひどい罰を…実は江の浦は帝のお気に入りだったのかなぁ?帝自身が罰を決めたのかなぁ?2人がオバケになって出てきたら怪談だなぁ…などと思いをはせてみたり。
おもしろい散策道です♪

医王寺の門前、民家の飾り
阿弥陀寺
南禅坊の楼門
山中鹿之助首塚
ささやき橋

で、渡守神社があるポイントにさしかかりましたが…あるのは沼名前神社(ぬなくまじんじゃ)という神社。
鞆の祇園さん」の別名がある海神・綿津見命(オオワタツミノミコト)と須佐之男スサノオノミコト)を祀る神社です。
まさか鞆の浦まで来て祇園とはw。
神功皇后が西国へ御下向の際この浦に立ち寄り、この地に社がないことを知り、斎場を設け、この浦の海中より涌出た霊石を神璽として綿津見命を祀って海路の安全を祈願されたのがその起源といいます。
妹の淀姫もこの時一緒にここに来られたんでしょうか?
…で、渡守神社って?と思ってあたりを見渡すと大きな摂社が2つ並んでます。
沼名前神社のとなりに「八幡宮」すなわち応神天皇神功皇后のムスコですね。
さっきのささやき橋のことが脳裏をよぎったりしてw。
さらにそのとなりに「渡守宮」とあります。
渡守神社は沼名前神社と同じ境内にある神社だったんですね☆
場所を間違ってたわけじゃなかったんだ♪

沼名前神社
沼名前神社拝殿・本殿
渡守神社、八幡宮、沼名前神社

まだまだたくさん神社仏閣がある鞆の浦ですが、朝っぱらから歩き回って少々疲れてきたのでこの辺にして、駐車場方面に戻ります。
駐車場のすぐ近くに福善寺というお寺があります。
海辺の丘の上にあって客殿、別名「対潮楼」からこれまたみごとな景色がみられるとのこと。
江戸時代に朝鮮通信使のための迎賓館として使われ、日本の漢学者や書家らとの交流の場にもなっていたといいます。
坂本龍馬が「いろは丸事件」の際にココで紀州藩が実際に談判したそうな。
客殿に入ると大きく「対潮楼」そして「日東第一形勝」の文字。
朝鮮通信使・李邦彦(イ・パンオン)がこの対潮楼からの眺望を「日東第一形勝」=「日本一の景勝」と称賛したためだそうです。
客殿からのぞむ仙酔島弁天島・皇后島の風景は額縁庭園ならぬ額縁絶景☆

福善寺本堂
「日東第一形勝」
弁天島の前を進む平成いろは丸

この景色を最後に鞆の浦をあとにして、尾道に向かうことにしたのでありました。

つづく。