のりりんの京都日和

京都府在住ののりりんの徒然ブログ

山と海と桃太郎・その3

朝、また目覚ましより早く目が覚めちゃいました(^^;)
朝風呂に入れる6時より1時間近くも前。
ヒマだからテレビでもつけようか。
天気予報によるときょうは1日薄曇りらしい。
ありゃま、そんな話きいてないんですけど…(ーー;)
ちょっとテンション下がるけど、まあ「何とやらと秋の空」と申します。
きょうは神社の参拝がメインだから雨さえ降らなければよしとしましょう。
で、朝風呂。
スーパー銭湯としてはまだ営業前みたいなのでほかのお客さんも少なめ。
露天風呂は…お湯が入ってない(^^;)
なので内湯でのんびりほっこり♪
風呂から上がっても素泊まりなので朝食がありません。
ハラ減った…
前日の夕食の際に倉敷美観地区で何か夜食か朝食にできるものを買えたら買っとこうと思ったけど何も買えなかったので、さっさとチェックアウトしてコンビニにでも行きますかw。

今回の旅のもうひとつのメイン、吉備津神社は宿からクルマで10分ほど…のはずでしたが、通勤時間にぶち当たって20分ほどかかりました。
三備一宮・吉備津神社
三備とは「備前・備中・備後」=「吉備」全域のこと。
全国一宮巡りという意味でも外せない神社です。
去年香川で讃岐国一宮の田村神社に参拝した時に、ご祭神の倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトトヒモモソヒメノミコト)が吉備津神社吉備津彦命のお姉ちゃんであること、そして奈良・桜井市箸墓古墳に埋葬されていることを知りました。
箸墓古墳卑弥呼の墓ともいわれる古墳で、邪馬台国畿内説を裏付ける遺跡のひとつでもあります。
いわゆる「魏志倭人伝」によると卑弥呼には弟(名前は不記載)がいて卑弥呼をたすけて政務を執り行ったといいます。
(個人的にこの「魏志倭人伝」という呼称が好きではありません。書物の名は誰もが知ってる「三国志」なのになぜそう呼ばないのか?と思ってます。)
卑弥呼天照大神とする説があります。
天照大神にも弟がいます。
ツクヨミノミコト(月読命、月夜見命)とスサノオノミコト須佐之男命)。
ただしツクヨミは男かどうかよくわかりません。
「百襲姫+吉備津彦」「アマテラス+スサノオ」「卑弥呼+男弟」というお姉ちゃんと弟のセット。
特に吉備津彦スサノオはどちらも武勇伝の残る勇者、武人という共通点もあります。
飛躍したみかたをしてしまえば、実はこの3組の姉弟が同一なのでは?
そうまで言わなくても、今なお残る日本の言い習わしの一つに、子宝は「一姫二太郎」というのがあります。
この日本神話の姉弟セットが影響してるんじゃないかと推察してみたりするわけです。
古事記」「日本書紀」が書かれた時期は女帝・持統天皇の時代であり、そのため最高神アマテラスが女性になったとも言われています。
持統天皇にも弟がいます。大友皇子弘文天皇)。
いうまでもなく自分の夫・大海人皇子天武天皇)に壬申の乱で敗れて亡くなりました。
さすがにここまで姉弟セットをイコールでつなげられるとは思いませんが、興味深いところです。
スサノオ吉備津彦のように大友も立派な武人であってほしかった、みたいな持統の思いが反映されているのかもしれません。
…とまあこんなことを考えて、田村神社参拝後、ぜひとも吉備津神社にも参拝したいと去年から思っていたわけです。

吉備津神社に到着すると、鳥居に総社宮のような長い回廊、そしてその先、丘の上に立派な本殿の屋根がみえます。
鳥居の脇に社殿がありますね。
中に入れるみたい…と思ったら、中で巫女さん?女性の方が薪で釜に火をかけています。
むかしながらの炊飯のようなので、神饌でも炊いてるのかなぁ?
お忙しいところ、おジャマを承知で話をうかがってみました。
「何してるんですか?お米でも炊いてるんですか?」
中はお湯だけです。沸騰するまで熱しておいて神事に使います。神事の際に再度火をかけて沸騰させる必要があるので時間省略のためですね
「どんなご神事なんですか?」
鳴釜神事と言って、神事が執り行われるとこの社殿の下にある温羅さんのアタマから『ぼ~』みたいな音が出るんです。音が鳴ったら『吉』で願い事がかなう、鳴らないと『凶』で願い事がかないません
「へ~!おもしろい!音が出たら熱い熱いって怒ってそうで『凶』っぽいけど、鳴ったら『吉』なんですね!」
「(笑)」
社殿は御釜殿という社(社殿内には入れますが写真撮影不可)。

吉備津彦に退治された温羅ですが、さらし首になってもなおうなり声をあげて人々を怖がらせました。
困った吉備津彦の夢枕に温羅が現れ「私の妻、阿曽媛に御竈殿の火を炊かせよ。釜は幸福が訪れるなら豊かに鳴りひびき、わざわいが訪れるなら、荒々しく鳴るだろう」と告げました。
阿曽媛は温羅の拠点だった鬼ノ城付近の住人だったそうで、今でもその地域の住人の女性が「阿曽女」と呼ばれる特別な巫女さんとしてこの鳴釜神事に仕えているのだそうです。
女性は阿曽女さんだったんでしょうか?
「温羅さん」と親しげに呼ばれているのがとても印象的でした。

吉備津神社御釜殿入り口(向かって左手が御釜殿)

で、なだらかに上る回廊を進んで、たくさんある摂社末社は帰り道に参拝するとして本殿の方へ。
…ん?まっすぐ進むと急な下りの石段、背後に拝殿拝所。
そっか、裏手から入ってきちゃったんだ(^^;)
とりあえず二礼二拍手一礼して国宝の本殿をじっくりみさせてもらおう♪
…かっちょいい!
勇壮な社殿は今までみた神社の社殿の中でも特に美しく感じました☆
晴れてたらもっとよかったのに(^^;)
本殿の左後方に丘があって、摂社・一童社があります。
摂社を参拝しつつ本殿を俯瞰。いい!
全国唯一の建築様式で「比翼入母屋造」あるいは「吉備津造」と呼ばれるそうです。

吉備津神社本殿・拝殿
吉備津神社本殿
吉備津神社本殿(一童社前から)

ずっとみてても飽きない美しい建造物。
社殿前では巫女さんがお勤め中。
参拝者はまだ数えるほどで静か。
清浄な空気を感じる境内です。

巫女さんお勤め中

正面の石段を一度降りて、改めて正面から本殿へ。
正面に鳥居はみあたりませんねぇ…石段の間に北随神門と呼ばれる立派な門はありますけど。
そういえば裏手の回廊にも同じような門がありましたね(南随神門)。
本殿だけでなく、ほかの神社ではあまりみかけない境内の様式、建物の配置という感じです。
帰り道で改めて摂社末社を参拝。
えびす宮に、まっすぐ伸びる石段の上に岩山宮
回廊の一番奥に本宮社という吉備津彦命の父母神を祀った社があります。
絵馬に肉まん?いやこれはw。
安産・育児にご利益があるんですって(^▽^:)
そういや母が去年乳がんの手術受けてるから、育児には関係ないけどちゃんと参拝しとこうw。

吉備津神社・廻廊
岩山宮
おっぱいw

神さまも境内も興味深い吉備津神社をあとにして、すぐ近くの吉備津彦神社へ。
この2つは何が違うんでしょう?
吉備津彦神社は吉備津神社から分社された神社だそうです。
先ほど吉備津神社が「三備一宮」と述べましたが、大化の改新の際に国制度が見直されて吉備国備前・備中・備後の3つに分かれました。
その際に備中一宮=元の吉備津神社備前一宮=吉備津彦神社、備後一宮=岡山ではなく広島の吉備津神社の3つに分社されたのだそうです。
なるほどなるほど☆
吉備津彦神社は先ほどの吉備津神社と違い正面に鳥居があって直線的に境内が続いています。
両脇に池をみながらまっすぐ伸びる参道、こちらにも随神門があって、その先に祭文殿・渡殿、そして本殿。
この直線的な境内は比較的新しい神宮社の感じに似てる気がしますね~。
整然と並ぶ社殿もかっちょいいですね☆

吉備津彦神社・参道
吉備津彦神社・祭文殿
吉備津彦神社・祭文殿、渡殿、本殿

吉備津彦命は温羅退治のため崇神天皇の命で四道将軍の一人・西道将軍としてこの地に入りました。
先日竹田城に行った際に近くの粟鹿神社が気になって参拝しましたが、粟鹿神社の主神・日子坐王(ヒコイマスノミコ)も四道将軍の一人です。
去年から吉備津彦命の神社を参拝しようと思ってて、今にして思うと、これもまた神さまに呼ばれてた気がしてきましたw。
たまたま偶然ですかねw。

これで今回の旅の目的は達成されました。
天気も相変わらず薄曇りなので、もう帰ってもいいんかな~と思いましたが、とりあえず昼食。
どこに行こうかと思って、帰り道とは逆方向ですが、改めて倉敷美観地区に行くことにしました。
前日の夜はメシ食べただけで素通りでしたしw。
近くの駐車場にクルマを停めて、美観地区入り口付近はものすげ~混雑(^^;)
主に中学~高校生くらいの学生で、修学旅行と思われる団体が数えきれないほど来てます。
特に入り口付近は買い食いパラダイス的なお店がいっぱい。
まだ11時前なのでボクものんびり買い食いして、ラーメン店が開店しそうな時間までぶらぶら散策しよう♪
なになに、牡蠣醤油スフトクリームとな?

雪ソフトクリーム@備中倉敷瀬戸内庵

水路に遊覧船、白と黒の格子模様の土塀が京都の映画村みたいな風景ですね~w。
樹々のほんのり秋色も風情です。
これで晴天だったら最高だったのに(^^;)
学生で混雑してるところをスナップ的に撮影してみたり。

倉敷美観地区
倉敷美観地区、遊覧船
倉敷美観地区、女学生

で、昼食はそんな美観地区のはずれにある「倉敷らーめん升屋」で「倉敷煮干しらーめん・チャーシュートッピング」煮干しの香り高いスープに細めのストレート麺、バラチャーシュー・煮玉子・太めのメンマで具材も盛りだくさん(^▽^)/ウマウマ~☆
前日の鬼の城ラーメンが激辛大盛りだったのでこういう普通においしいラーメンが食べたかったw。

倉敷煮干しらーめん・チャーシュートッピング(別盛)@倉敷らーめん升屋

さあ、今度こそ帰ろうか…いや…もうちょっと。
岡山県に国宝建造物は2つだけ。
吉備津神社の本殿・拝殿と、閑谷学校
閑谷学校は倉敷から少し遠いけど、一般道でだらだら走って帰るとしたらその途上にあります。
だったらここまで来たらもったいないので行っておこう、とw。
倉敷から岡山市を通り越して兵庫県との県境に近い備前市にあります。
江戸時代前期の寛文10年(1670)に岡山藩池田光政によって創建された、現存する世界最古の庶民のための公立学校で、国の特別史跡、さらに日本遺産の第1号に指定されました。
一番大きな建物である講堂が国宝に指定されています。
現在も岡山県青少年育成センター・閑谷学校として活用されています。
文字通り閑かな谷あいにある学校、団体の観光客が多いですね~。
最初に目に入る校門(鶴鳴門)から屋根や瓦がどれも赤茶色で、備前焼が用いられています。
この門、京都・宇治の萬福寺の門に似ててちゅうかな雰囲気ですね~。
現在の形になったのは元禄年間だそうですが、当時の教育といえば主に漢学、儒教ですから建物も中国風なのかな~と思います。
廃藩置県によりいったん閉鎖されたそうですが、幕末に備中松山藩で藩政改革を指導した漢学者でもある山田方谷が再興しました。
戊辰戦争の際に城の無血開城を決断した家臣の一人です(「山と海と桃太郎・その1」参照)。
備中松山城の歴史を学ぶとしたら、この閑谷学校はスルーしちゃいけなかったんですね。
訪れてよかった☆
色々知るとこの山田方谷という人、幕末期にあって波乱の生涯だったみたいですね~。
お城にも閑谷学校でも「大河ドラマに!」みたいなのぼりがあがってるのをみかけて、なるほどと思います。
それはさておき、国宝の講堂ほか備前焼の美しい屋根の建物を鑑賞していると、やたら大勢の団体がやってきました。
修学旅行?にしては年齢が上っぽい。大学生?社会人?くらいかな?
企業の研修かなんかかな~?
そう思いつつ、そうした人が写真に入らないように撮影を続けました。
するとたくさん講堂に集まって正座させられています。あぁお気の毒(^^;)
最後にどうしても気になったので、講堂に入ってない少数のグループ、その中の引率者らしき人に尋ねてみると、教員採用予定の方々の研修とのこと。
これから学校の先生になる人たちだったんですね☆
リクルートスーツっぽい服装にみため知的で美しい女性が多いのはそのせいかw(男はロクにみてないので印象に残ってませんw)。
元禄年間から300年以上経った今もなお教育機関として活用される閑谷学校、すごい施設なんだな~と実感したのでありました。

閑谷学校、校門(鶴鳴門)
閑谷学校、講堂(国宝)
閑谷学校、講堂内部
閑谷学校、聖廟

さあ、今度こそ帰ろう♪
閑谷学校からすぐのところに山陽道備前ICがあるのでさっと高速に乗ってぴゅっと2時間ほどで帰れるでしょう。
晩メシはウチで食べれるかな?
2年前に岡山~津山の桜を鑑賞して、今回は秋の風物詩・雲海と国宝建造物。
思えばけっこう頻繁に来てるじゃないか岡山県w。
今回はもっと満喫しようと宿を取りましたが、2日目の天候がくもり空だったのが悔やまれます。
また、ほかにもいろいろ宿題を残しちゃったような気もします。
日帰りでもいいからまた近いうちに来たいなぁ♪
そう思える、いい旅だったと思うのでした(^^)