のりりんの京都日和

京都府在住ののりりんの徒然ブログ

よいこの徒然草・第七十五段

することがない生活をつらく思う者の心とは一体どのようなものなのでしょうか。何事にも心惹かれて動くことがなく、わが身ただひとり、静かであるのが何よりも好ましいのです。
世間に従えば、心は下界の欲にまみれて惑いやすく、人と交われば、言葉は他人にあわせるための手段となり、心の真実は薄れてしまいます。他人とふざけあい、言い争い、ある時は怨み、ある時は喜ぶ。それは落ち着くことがありません。周囲に対していたずらに思いがめぐり、損得勘定に明け暮れる。それは迷いというものの上に酔っているのです。酔いの中に夢をみているのです。忙しく走りまわって、ぼんやり本来の道を忘れてしまう。人は皆このようなものなのです。
いまだまことの悟りを知らなくても、俗世から離れて身も心も静かにして、周囲の雑事から遠ざかって心を安らかにすれば、かりそめにもこの世を楽しむことができるのであります。「生活、人事、技能、学問等の因縁を断ち切ってしまえ」と『摩訶止観』にもございますから。

※「摩訶止観」=中国天台宗の根本聖典

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「ただひとり静かである」ってあこがれますね〜。
ひとり静かに眼を閉じて、クラシックでもじっくり味わう、なんて時間が、一日の中に少しでもある生活がいいですね。

…すみません、夢のまた夢という気がする休みの日の夜でした(^^;)