のりりんの京都日和

京都府在住ののりりんの徒然ブログ

よいこの徒然草・第七十四段

蟻のように人が集まり、東西に急ぎ、南北に走る。身分の高い者がおり、賤しき者もいる。老人がいて、若者がいる。行くべき場所があり、帰る家がある。夜に眠り、朝、目を覚ます。努力して事を成す、その意味とは。生をむやみに欲し、財産を求めて止むことがありません。
養生して何を待つというのでしょう。行き着くところは老いと死のみです。それがやってくるのは極めて速く、一瞬の間に浮かぶ思いと思いのはざまにもとどまりません。これを待つことに何の楽しみがありましょうか。道に疎く自らの妄想に迷う者はこれを恐れません。名誉や利益に溺れ行き着く先のことを顧みないからです。また、愚かな者はこれを悲しみます。この世は不変であると信じ、万物は流転するという理を知らないからです。

※「蟻のように…」=『文選』巻九「長笛賦」からの引用。

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人はよかれ悪しかれ「満足」を求めて生きているのだと個人的に思います。
その「満足」が「経済的な豊かさ」だったり「精神的な平安」だったり、あるいは「名声」だったり。
仏道を究める」といって仏門をくぐる人もいるでしょう。
で、どこまでやれば「満足」できるのか。
それはそれ人それぞれでしょう。
ただ、「満足」を得た、もう何にもいらないというところまでたどり着ける人は極めて稀のような気がします。
でも、たどり着けなかった人が不幸だとボクには思えません。
道を究めようと日々研鑽する人の姿は美しい。
志半ばの親や師匠の遺志が次の世代に引き継がれていくこともあるでしょう。
「満足」を求めることをやめた時点で人は人としての向上心を失います。
そんな人が「生きている」といえるのでしょうか?

こういう点においては、ボクは兼好法師と意見が違うようです。

ボクは健康増進をめざして1週間が経過、今のところ順調です。
2日だけ強烈に筋肉痛になりましたがw。
坊主は年頭の目標に「少しでも成績を上げる」と掲げました。
その手助けになれればと思います。
ともに決して小さな成果に満足せず、継続していきたいと思います。

2013年、最初の徒然草でした。