のりりんの京都日和

京都府在住ののりりんの徒然ブログ

よいこの徒然草・第六十六段

noririn_06102012-08-04

岡本の関白殿が「花盛りの紅梅の枝に雉のつがいを添えてこの枝にとりつけて持ってくるように」と鷹飼の下毛野武勝に申し付けられましたが、武勝が「花の枝に鳥を添える方法も、一つの枝に二羽を添える方法も心得ておりません」というので、料理人や周囲の古事に詳しい人々にも同じ事を訊ねまわり、その上で武勝に「ならばそなたの考えるままにやってみて持って来るように」と命じたところ、武勝は花もない梅の枝に雉を一羽だけ添えて参上しました。
武勝はこのように申し上げました。「雑木の枝に梅の枝、まだ花がつぼみの枝にも花が散ってしまった枝にも鳥をとりつけます。五葉の松などにもとりつけます。枝の長さは七尺、あるいは六尺に切り、切り口は反し刀で五分の長さにし、枝の中ほどに雉をとりつます。雉をつける枝と、足を置かせる枝とがあります。蔓藤のつるを裂いていないものを用いて二か所結び付けるのがよいでしょう。その藤の先は、火打ち羽の長さに合わせて切って、牛の角のような形にたわめておく必要があります。初雪の朝の出仕の際に枝を肩に掛け、威儀を正して中門から参上します。石畳を進んで雪には跡を残さず、雉の雨覆いの羽毛を少しばかりむしりとって散らし、二棟廊の御殿の欄干に寄せかけます。褒美の衣装を頂いたならばそれを肩に掛け退出いたします。初雪とはいえ、靴のつま先が隠れない程度の雪ならば参上致しません。雨覆いの羽毛をむしりとって散らすのは、鷹が他の鳥を捕らえるときは標的の腰をつかむことから、鷹が獲物を捕らえられたことを意味しております」。
では、花のある枝に鳥をつけなかったのはどういう理由なのでしょうか。九月頃、作り物の梅の枝に雉をとまらせて「君がためにと折る花は 時しも分かぬ」と詠まれた歌が『伊勢物語』にあります。「花に鳥つけず」ということも、造花の枝の場合だけは差し支えないのでしょうか。

※「岡本の関白殿」=近衛家平
 「火打ち羽」=鳥の両翼の下脇にある火打ちの形をした小さい羽。
 「雨覆いの羽毛」=鳥の翼にある風切り羽の根元を覆っている短い羽毛。
「我がたのむ 君がためにと 折る花は 時しも分かぬ ものにぞありける」
私が主人として頼る君に差し上げるために折るこの花は、私の忠実な心がいつも変わらないのと同じように、九月というのに季節も区別せぬように咲いております。(『伊勢物語』第九十八段)

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正直今回の段は何のことやらよくわかりません。
枝に鳥をつける?
こういうこと、今でもやっているんでしょうか?
蹴鞠の時、鞠を会場に持ち込む時に季節の樹の枝を添えるのをみたことがありますが、鷹狩りなどの時にも同じように獲ったものを枝に添える、とか?
(写真は下鴨神社の蹴鞠初めの際のもので、正月なので松が使われています。)

そういえば、毘沙門堂(京都・山科区)に来客を「とりあわず」の部屋があるのを思い出しました。
関係ないですね(^^;)