のりりんの京都日和

京都府在住ののりりんの徒然ブログ

よいこの徒然草・第五十段

noririn_06102012-01-17

応長の頃、伊勢の国から何者かが鬼に化身した女を引き連れて京に上ってきたといううわさがまことしやかに流れ、それから20日ほど、毎日のように京・白川の辺りの人々は鬼見と称し、やたら外に出回るようになりました。人々は「昨日は西園寺に現われたそうだ」「今日は院の御所に現われるらしい」「ちょうど今どこそこに…」などと言い合っていました。確かにこの目で見たという人もいなければ、ただの作り話だろうと言う人もいまぜん。ただ、身分の上下に関係なく、誰もが鬼のことばかり話していました。
そのころ、東山から安居院のあたりに出掛けると、四条より上に住む人が皆、北を目指して走っているのに出くわしました。「一条室町に鬼が出た」と騒ぎ立てています。今出川の辺りから見れば、院の賀茂祭見物の桟敷のあたりは身動きが取れないくらいに混雑しています。なるほど鬼が出たというのは根拠のない話でもないようだと思って、人を見に遣らせましたが、誰一人として鬼に出会う者はいません。日暮れまで大騒ぎが続き、あげくの果てには喧嘩まで始まり、何ともばかばかしい一日でした。
当時、世間に広く、人々が2、3日ほど病気にかかる流行病があったので、鬼の噂話は、この病気の流行の兆しを意味していたのだと言う人もおりました。

※「応長の頃」=文末にある疫病の流行により延慶から応長と改元された。そのためこの逸話の時期は延慶4(1311)年3月以降と推定される。
「西園寺」=京都市北区、現在の金閣寺のある地にあった仏堂。
「安居院」=比叡山東塔竹林院の僧徒の里坊。京都市上京区大宮通上立売北にあった。

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ようやく五十段まできました☆

流行り病を鬼と呼んで忌み嫌う人々の様子、昨今の放射能汚染に似ている気がするのはボクだけでしょうか?

ところで、今回の段などを読むと徒然草の時代が鎌倉時代末〜南北朝時代ということで、金閣寺天龍寺がまだないころの京都というのをうかがい知ることが出来ます。
ちなみに西園寺は、歌人としても有名な藤原公経(きんつね)が別荘を建立、邸内に同家の菩提寺を建立したことに始まり、金閣寺造営のため今で言う上京区に移転、さらに豊臣秀吉の都市計画によりさらに移転し、現在は鞍馬口通り寺町を少し南へ入ったところにあります(写真)。