のりりんの京都日和

京都府在住ののりりんの徒然ブログ

よいこの徒然草・第四十九段

noririn_06102012-01-13

年老いてから仏道の修行をしようなどと、その時を待っていてはいけません。古き墓の主、その多くは若くして死した者といいます。予期せぬ病にかかり、今まさに世を去ろうという時になってようやく時が過ぎてしまったことに対する失敗を知るものです。失敗というのは他でなく、すぐやるべきことを先延ばしにして、ゆっくりすればいい事を急ぎ、そのようにして命を費やしてしまったことへの後悔のことであります。その時になって悔いてもあとの祭りなのです。
人というものは常に死が迫りくる身であるということを肝に銘じて、一瞬たりとも忘れてはならないのです。そうすれば、現世への執着や煩悩などという邪念も薄くなり、仏道に精進しようとする心も自ずと真面目にならないはずはありません。
「その昔いたという聖人は、人が訪ねて来て自他の様々な要件を言うときにも『今、火急の用事があり、既に朝夕に迫っている』といって、耳をふさいでまで念仏をし、とうとう往生を遂げた」と、禅林寺の永観が著した『往生十因』にあります。心戒という聖人は、あまりにこの世がはかなく無常であることを憂えて、落ち着いて腰を下ろす事もなく、常にしゃがんでいたといいます。

※「古き墓の主…」=宋の円照宗本の『帰元直指集』、無住道暁の『沙石集』からの引用。
禅林寺の永観(ようかん)」=禅林寺は現京都市左京区南禅寺町の寺で、通称永観堂。永観はもともと真言密教の道場だった禅林寺を念仏道場としてその中興となった。
「心戒」=平宗盛の子で、平家滅亡後発心して高野山に篭り、その後に宋に渡り、帰国後は陸奥地方に住み行方知れずになったという。

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まあ、かいつまんで言えば「善は急げ」ということでしょうか。
物事の順序をわきまえること、大切だと思います。
なかなかできませんけどね〜(^^;)

写真は永観堂禅林寺)、お不動さまのいる不動滝です。