のりりんの京都日和

京都府在住ののりりんの徒然ブログ

朽木探検隊

noririn_06102011-11-29

11/28は友人4人との散策会☆
行き先は大学の講師でもあるMさんにおまかせ。
一応大原を抜ける鯖街道国道367号線方面を散策する予定です。
鯖街道というと、スカイラインに乗ってた時、むしゃくしゃするとよく走ってって敦賀の方まで抜けてった思い出の道。
…ただ、行きはむしゃくしゃしてるから走ることだけに集中してるし、帰りはたいがい夜で真っ暗だし、大原を抜けるとトンネルくらいしか覚えてなくて道沿いに何があるかなんて全然知りません(^^;)
さあ、どんな風景が待っていることやら♪

するする〜っと大原方面をこの時期に贅沢にもスルーして、道沿いの紅葉を眺めながら途中越えのトンネル、トンネルを抜けるとボクにとってはほとんど未知の世界。
でもまだ一応(笑)大津市なんですね。
鯖街道から脇道にそれて、突然和邇川の土手の野辺に向かうMさん。
こっちこっちと草の生い茂る土手に案内されたところで待ってたのは、で〜んと大きな岩の上の方に刻まれた7つの仏さま。
和邇川をさらに上流、権現谷から流れ落ち川の中に逆さになっていたことから「さかさ地蔵」と呼ばれているそうです。
付近bの村人がそのさかさ地蔵をえっちらおっちら運んで今の場所で祀ったんだとか。
こりゃおもしろい☆
…おや、山のサルたちが川辺まで降りてきてお出迎えしてくれました♪

続いて、鯖街道に戻って息障明王院地主神社
紅葉がキレイ☆
荘厳な雰囲気の伽藍はそこかしこに色の違う修復の痕が。
「雪深い地域だからすぐに建物が傷んじゃうんだろうね〜」とはM先生のお言葉。
重要文化財不動明王・千手観音・毘沙門天像があるそうですが、格子越しにみえるのはお前立ちさまだけでした。
それだけでもなかなかのもの、厨子の中はもっと立派なのかな〜♪
地主神社の方もなかなか趣のある社殿の建築でした。

さらに鯖街道を北に進んで朽木の里(高島市)に入ります。
道沿いの「こんもり」を探して確かにこんもりしたお社を発見。
ええと…なんて神社だっけ?
そこだけが小島のように岩の上にあるお社がかわいい感じです♪

さらに進むと足利庭園のある興聖寺
その昔道元禅師があたりの雰囲気が宇治の興聖寺に似てるということから道場を開いたという曹洞宗の古刹は関西花の寺のひとつにも選ばれている藪椿の名所でも有名です…が、もちろんボクは初めて知りました(^^;)
足利庭園というのは、室町末期、12代将軍足利義春が三好氏の乱を避け、管領細川高国と共にこの地に逃げ延びたとき、領主の朽木稙綱(たねつな)が将軍の仮御所が建て、その間、田舎での無りょうを慰めるために高国が庭園を完成させたそうです。
なかなか勇壮な石組みの庭園は京都の雅を再現しているようですが、実際のそれとはまた違った独特の美しさがあります☆

ここらで昼食、Uターンしてさっきのこんもり(神社の名前なんだっけこんちくしょ〜)の向かい「永昌庵」という朽木そばのお店。
ざるそばがオススメとの張り紙をみつけましたが、寒かったのと栃モチ入りというのを食べたくて「とちかっちんそば」を食べました♪
栃モチってこれまであんまり食べた記憶がないけどおいしいですね〜(^▽^)

またUターンで興聖寺を通り越して、邇々杵神社は「ネネツキ」ではなく「ニニギ」と読みますw。
要するにニニギノミコト神武天皇ですね☆
どこにもありふれた普通の神社かと思いきや、なぜか立派な多宝塔がそのすぐ横にあります。
神社に多宝塔?
邇々杵神社のすぐとなりにはかつて朽木神宮寺というお寺があったそうなんですが、この神宮寺、昭和26(1951)年に消失、焼け残った庫裏も平成16(2004)年に解体されてしまったとのこと。
意外と最近のことなんですねぇ。

…字数が多くなりすぎてきたのできょうはここまでにして。
あす以降につづくw。