のりりんの京都日和

京都府在住ののりりんの徒然ブログ

よいこの徒然草・第一段

noririn_06102011-04-07

 それにしても、この世に生まれついては、こうありたいという望みのなんと多いことでしょう。
 みかどの位につくことが何より一番ですが、これは畏れ多いことです。皇族の方々は先祖から子々孫々までみな尊くて、我々常人とは血筋が違います。となると摂政関白の位が私たちにとっての理想ですけど、摂政関白には及ばない身分でも、舎人の位でもちょうだいできればたいしたものだと思います。子孫が没落したとしても、値打ちが下がるわけではありません。ところが、さらに地位の低い者が、前まで相応の身分に就いていたのに、運が良いだけで出世したくせに「俺は天才だ〜」なんて急に偉ぶりだしたところで、どこからどうみても愚か者ですよね。
 坊主なんてうらやましいと思うものですか。「木っ端みたいにつまんないヤツ〜って思っちゃう」と清少納言も言っていますけど、本当にその通りです。勢いのまま威張り散らしたところで、偉くみえるものですか。増賀聖が言うように、他人の反応ばっかり気にしすぎて、御仏のお言葉を聞くのを忘れてしまっています。さっさと世を捨てた人のほうがかえって好感が持てますね。
 人は、容姿のありさまが美しいのが一番でしょう。しかし、話をして、不愉快になることなく、おもしろみがあって、それでいて口数が少ない人こそ、いつまでも付き合っていたい人です。逆に一見立派だと思った人の性格の悪さをちらとみてしまうとげんなりしてしまいます。容姿は生まれつきで変わりようがないけれど、心持ちならより賢く向上しようと努力すればなんとかなるものです。たとえ外見がよくてもバカでは、下品で醜い人に簡単に言い負かされてしまい思いがけず恥をかくことになります。
 理想をいえば、正しい学問を身につけて、漢詩、和歌、音楽に堪能であることです。その上で朝廷の儀式や政治に関して人の見本になれる人がすばらしいですね。男なら、さらさらと筆が達者で、いい声で音楽に合わせて歌がうまく、謙遜しながらも酒もたしなめるのが一流ですよ。

※「増賀聖(そうがのひじり)」=天台宗の高僧だが隠遁生活を送り奇行が多かったという。
 「舎人(とねり)」=皇族や貴族に仕え、警備や雑用などに従事する役職

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個人的に「だ」「である」調があまり好きではないので「です」「ます」調にしています。
それにこの方が世捨て人の説教口調っぽくていいかな〜、なんてw。
引用や文中の人物のコメントなどを除いて、この口調を今後も基本にしていこうと思っています。

吉田兼好という人物の生没年は実は不詳ですが、1282(弘安6)年頃〜1352(観応3)年頃で、『徒然草』の成立は1330(元徳2)年ごろ一応成立し、その数年後に加筆・編集されて今の形に整えられたといわれています。
鎌倉時代終末期から建武の新政の時代ですね。
その後室町時代になってから徐々に筆写によって流布していったようですが、兼好法師自身出家前は六位〜従五位の公家だった上、内容から推測すると主な読者は武士や庶民ではなくやはり公家・貴族階級だったのではないかと思われます。

第一弾は主に兼好法師の人物観ですが、上の成立時期を念頭に読み直すと、「運だけで出世した者(本文「時にあひ、したり顔なる」)」「下品で醜い人(本文「品下り、顔憎さげなる人」)」というのは武士のことを指すような気がしないでもありません。
当時は鎌倉倒幕の動乱=「正中の変(1324年)」「元弘の乱(1331〜33年)」で京都が戦乱の巷と化していた時期ですから、兼好法師が武士を忌み嫌っていたとしても不思議ではありません。

こういう時代背景も意識するとさらに興味がわいてきます

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というわけで、今後もこんな調子でのんびり続けていきたいと思います。

※写真は去年の葵祭上賀茂神社で撮影した「牽馬」。
 祭りに参加する最高位の貴族である「勅使」の特別の馬をひいている役人が「舎人」です。