のりりんの京都日和

京都府在住ののりりんの徒然ブログ

大江山周辺探訪

16日夜勤明けからの17~19日と3連休。
予定通り大江山登山に…と思ってたんですが、どうも天気が思わしくない(--;)
スマホアプリのYahoo!天気・tenkiナビ(日本気象協会)・ウェザーニュースと、PCのmsnの天気予報。
これらチェックしてるwebサイトは4つそれぞれ違う天気予報出してるし。
困ったなぁ…
で、16日時点で一番天気がよさそうな18日に出陣することに決めました。
…が、どうもそのあとまた予報が変わったようで、17日の日中の天気よくなったみたいで。
18日は大江山方面でくもり時々晴れ予報。
ん~、雲海は出なさそうだけど、予定通り出発しますか。

出発したのは17日の夜遅く。
大江山グリーンロッジの駐車場で車中泊して、そこから適当な時間に起きて山に登って夜明け前までに雲海撮影スポットの鬼嶽稲荷神社に赴き、さらにそこから大江山千丈ヶ嶽)山頂に登山するという計画。
ひとくちに「大江山」といっても実はその名の山はなく、正式には「大江連峰」です。
千丈ヶ嶽はその中で最も高い標高832mで、一般に大江山というとこの千丈ヶ嶽を指すことが多いようです。
鬼の酒呑童子の棲み家として有名ですが、実は大江山での鬼退治伝説は酒呑童子を含め3つあるそうです。
最初は神代の時代、崇神天皇の弟・日子坐王彦坐王、ひこいますのおおきみ)が土蜘蛛の陸耳御笠(くぐみみのみかさ)を退治したという話。
2つめは聖徳太子の弟の麻呂子親王当麻皇子)が三上ヶ嶽(みうえがたけ、大江山の古名)で3匹の鬼(英胡・軽足・土熊)を討ったという話。
そして3つめが源頼光坂田金時らを従えて酒呑童子を討った話です。
これほど鬼伝説を残す大江山、麓には「鬼の交流博物館」が建てられているほかそこかしこに鬼のオブジェがあってちょっとした鬼のテーマパークっぽくなっていますw。
その鬼の交流博物館のとなりに大江山グリーンロッジがあるんですが…
夜中の1時ごろに到着してまず公衆トイレに入ると「駐車場は施設利用者専用、無断駐車禁止」って(--;)
登山のガイドにここからスタートってコース紹介されてたから停められると思ったのに。
しょうがないからほかの駐車場に…っていうか、もう鬼嶽稲荷神社の駐車場に行っちゃおうw。
大江山グリーンロッジから鬼嶽稲荷神社までの道は普通に舗装道路(少し狭いけど)。
暗闇の中時折出現するシカと鬼の人形に肝を冷やしながら山道を上っていきます。
神社まで歩いて数分のところに小さな駐車場がある…と思ったら、そのポイントには「バス旋回地点」とある。
旋回できるスペースを空けてそこにクルマを停めることにしました。
見事なまでの暗闇(^^;)
聴こえるのは風に山の樹々が揺れる音だけ。
でも、雲が多い夜空だけど時折まんまるお月さまがみえる♪
今年最大のスーパームーンでしたっけ☆
ホントなら3時くらいに起きて上って来るつもりだったのがゆっくり寝られる時間ができちゃいましたw。

zzz…

ほんのり明るくなってきた5時過ぎにクルマを出て鬼嶽稲荷神社へ。
ん~、くもってる(--;)
雲海は…うっすら出てますね。
思ってたような感じじゃないけどはじめてだからまあこんなもんかw。
水墨画のような景色はこれはこれで美しいです☆
日の出は…残念ながら雲が多くてムリか…と思ったら、一瞬だけ雲間からの日射しが曇天を赤く染めてくれた☆

大江山からの眺め、うすい雲海
朝焼け

毎日来て駐車場等の整理をしてる係の人(多分w)にお話をうかがうと、大江山からみえる雲海の正体は由良川から立ちのぼるの河霧なのだそうです。
なるほど、だから雲海が出る条件に合致しなくってもうっすら雲海になるほど空気が湿気を含んでるんですね☆
きょうはあんまり出なかったけど、わざわざ車中泊に山登りなんてしなくってもクルマで近くまで来れる雲海スポットだから、今期中にもう一度タイミングが合えば来れるといいんだけど♪
で、明るくなってから神社参拝。
元々はもっと千丈ヶ嶽山頂近くに前述の日子坐王が建てた社でしたが、江戸末期の1848(弘化5)年にお稲荷さんの総本社・伏見稲荷大社から鬼嶽稲荷社の社号を賜って現在の地に遷されたそうです。
19世紀が「最近の話だな~」なんて思えてしまう歴史の古さw。

鬼嶽稲荷神社

神社からクルマを停めた場所まで戻る途中の細道に入ると鬼嶽不動があります。
その脇に不動の滝と呼ばれる小さな滝。
それより印象的だったのは錆色一色の入り口の鉄製の鳥居でした(^^;)

ほの暗い山に錆色の鳥居
お不動さま

さて暗い中を歩く装備も三脚も不要と思って一度クルマに戻って荷物を整理して。
…山登りどうしよう?
もし雨でも降りだしたらヤバいことに。
何てったって登山ビギナーですらないほどのド素人、まだ本格的な山登りができるほど装備も体力もないのりりん(^^;)
しかもここ数日少し腰痛が出てて。
雲海をみにできれば今期中にまた来たいと思ってることだし、次の機会に千丈ヶ嶽山頂を目指すとするか。
きょうはその下見に来たつもりで(^^;)

というわけで目的を切り替えて、大江山に来たら参拝したいと思ってた元伊勢三社に行こう。
山から下りて来て、まずは鬼の交流博物館あたりから一番近い天岩戸神社…なんだけど、駐車場探してたら通り過ぎちゃったなぁ(^^;)
で、みつけた駐車場は同じく三社のひとつ元伊勢内宮・皇大神社のすぐ前のところw。
天岩戸神社まで600m、皇大神宮まで300mとあります。
先に遠い方の天岩戸神社に行こう♪
日本の神話において天の岩戸のくだりはもっとも有名な話のひとつと言ってもいいくらいですね。
弟のスサノオがあんまり暴れるもんだからスネたアマテラスが岩戸に隠れて引きこもってしまった。
すると天上天下は真っ暗闇になってさあ大変。
困った八百万の神々は一計を案じた。
岩戸の前でどんちゃん騒ぎをすればアマテラスさまも気になって出てきてくれるんじゃないか、と。
祝詞を上げたり音曲を奏でたり、アメノウズメのおっぱい踊りはできることならボクもみてみたいw。
岩戸を開けてアマテラスチラ見したところをすかさず引っ張り出して戸は再び閉められないようにした。
おかげで世界に光が戻ってめでたしめでたし、とw。※諸説あり
天岩戸神社はそんなアマテラスさまが隠れられそうな切り立った岩々が並ぶ渓流に沿って鎮座されています。
社も岩の上にあって参拝の際には3、4mほどの鎖をつたって上る必要があります。
その社の背後に、天降った神々が座したと伝えられる巨大な岩「御座石」や神楽を舞ったと伝えられる岩「神楽石」などの巨岩。
深い森に巨大な磐座、流れる水は驚くほど澄み切っていて、とんでもなく清浄な雰囲気。
そんな清らかな雰囲気に包まれて深呼吸、気持ちいい♪
ご祭神は櫛御気野命(くしけぬのみこと)もしくは櫛岩窓戸命(くしいわまどのかみ)・豊岩窓戸命(とよいわまどのかみ)といいます。
櫛御気野命はスサノオの別名だとか。
「櫛」はスサノオの奥さんのクシイナダヒメをほうふつとさせます。
2神の方はスサノオとクシイナダヒメかもしれないと勝手に妄想w。

天岩戸神社
御座石と清流

一度駐車場に戻って、元伊勢内宮・皇大神社
駐車場のすぐ脇から右に左にカーブする石段を上っていきます。
石段の途中にある、まっすぐに伸びる杉のご神木がとても印象的。
古い切株から若い樹が伸びてるのも印象的。
生命の循環、老いからの再生を象徴しているかのよう。
社に向かう石段からしてとても神聖な雰囲気を感じます。

石段の上の杉の木(麻呂子杉)
切株から若木が伸びる

そして社の前、二の鳥居は杉の木削らず磨かずそのままの丸太が組まれた神明鳥居。
これまた不思議な鳥居、黒木鳥居といって最も原初的な鳥居なんだそうです。
その奥に整然と並ぶ社、周囲には無数の末社が立ち並んでいます。
長いこと伊勢神宮に参拝してないから覚えてないけど、伊勢神宮と様式が同じなんだろうか?違うんだろうか?

杉の木の鳥居
元伊勢内宮・皇大神社
ずらり立ち並ぶ末社

天岩戸神社とはまた違った清浄な雰囲気。
本殿に祀られるのはもちろん天照大神
左右の社=脇宮は、向かって右側(左殿)に天手力雄(あめのたぢからおのみこと)天岩戸を押し開いた神さま。
左側の右殿には栲機千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)で天孫降臨ニニギノミコトの母神だそう。
本殿と脇宮は伊勢神宮と同じ神明造でも茅葺。
脇宮なんて丸太そのままの柱が社を支えてますねぇ。
黒木の鳥居に茅葺の神明造の社はそれぞれ全国的にもあまりほかにない様式だそうですが、ボク的には初めてみる様式です。
ほかにあるんだったらどこにあるんだろ?

左殿と杉のご神木
右殿とご神木「龍灯の杉」
本殿

興味の尽きない社に境内ですが、先に進みましょう。
元伊勢内宮から南下、クルマで10分ほどで元伊勢外宮・豊受大神
こちらはまっすぐ伸びた石段の上に鎮座されます。
天岩戸神社から元伊勢内宮・外宮とけっこう石段を上ってますね~。
山登りの代わりってほどではないけどけっこう歩いてます(^^;)
こちらにも黒木鳥居。
そして本殿と脇宮?
正面からみた感じは内宮と似た雰囲気ですが、脇宮と同じような大きさの社がほかにもいくつかあります。
周囲をぐるっと末社が囲む形も似てますね。
本殿に向かって左側は「多賀宮」とあります。
右側に「土宮」周囲の末社と並ぶ形で右手に「風宮」後方に「月宮」、そして左後方に「御幸神社」。
滋賀の多賀大社のご祭神はイザナギイザナミですからきっとこの多賀宮もそうかと思ったら違って、下宮のご祭神・豊受大神荒神を祀るのが多賀宮(高宮)だそうです。
土に風に月の宮とは何とも風流な感じですが、よくわかりませんねぇ…
本殿のみ内宮と同じ茅葺の神明造です。

黒木鳥居
元伊勢外宮・豊受大神宮
立ち並ぶ社、月宮
本殿、裏手より

ことし6月に宮津元伊勢籠神社に参拝しました。
気になるのは大江山の元伊勢三社と籠神社の関係です。
元々奈良にあったアマテラスを祀る社は「別に大宮地を求めて鎮め祭れ」とのご神託から最初に赴いたのが丹波の地だったといいます。
そこでアマテラスとトヨウケビメが出会い、伊勢に遷ったあとのアマテラスがヨトウケビメを呼んでそれぞれ内宮・外宮に鎮座した、と。
このトヨウケビメという神さまがなかなかややこしい(失礼!)。
稲作をはじめた食の神さまで稲作を興した地「田場」が転じて「丹波」の地名になったといいます。
それが理由なのかどうか、とにかく丹波トヨウケビメがいたといわれる場所がいくつもある。
しかもトヨウケビメ=豊宇気毘売で女性の神さまかと思うんですが、とりあえず元伊勢下宮の本殿の千木は男神のもの。
男神は千木が外削ぎ(先端を垂直に切り落としてある)で、女神は千木が内削ぎ(先端を水平に切り落としてある)。上の写真で確認できます。
そしてこの神さまの名は『古事記』にはあっても『日本書紀』にはありません。
謎の多い神さまです。

丹波国律令時代に丹波と丹後に分けられました。
分けられたのは基本的に広い国で、その地の豪族の勢力が大きく、その力をそぐための分割というのが理由のひとつだったようです。
トヨウケというのは出雲の大国主のような丹波丹波・丹後)地域の主だったのかもしれません。
出雲の勢力が丹波の地域も勢力下に置いていたから亀岡に出雲大神宮があってそのあたりがヤマト勢力との境界線だったと出雲大神宮に参拝した時にそう記されていました。
その際の第一印象は「いくら何でも出雲から丹波は広すぎ」。
出雲と大和の間の丹波に別勢力があって双方にとって時に敵、時に味方だったりしたら何となくしっくりくる気がするのです。
そして出雲の大国主が国譲りする前後で大和に帰順した、その証が伊勢の内宮・外宮…みたいな。
まあ、何の根拠も物証もない、思いっきりボクの妄想の神代時代の物語です(^▽^;)

というわけで、いろんなことを考えながら元伊勢三社を周りました。
実は3つ周り終わった時点でまだ朝の9時半くらい(^^;)
天気は時折晴れ間もみえるもののやはり曇天。
昼食を食べる時間でもないのでどうしようかと思いましたが、さっさと撤収することにしました。
昼食は帰り道、京都縦貫道のPA丹波 味夢の里」で買い食いでもするか、とw。

とろたこ焼き@丹波焼き なお道(道の駅京丹波 味夢の里)

色々宿題を残しちゃいました(^^;)
大江山の雲海をみる
大江連山最高峰・千丈ヶ嶽登頂。
そのための体力づくりの継続と装備の充実。
そして丹波・丹後という地域をもっと知ること。
この両国を知る手掛かりは豊受大神にある気がします。
ことし中にもう一度くらい行きたいなぁ♪
そしてことしの目標「愛宕山登山」は今月末~来月前半に成し遂げようと思います☆
これもまた天気次第ですが(^^;)