のりりんの京都日和

京都府在住ののりりんの徒然ブログ

国難

とにかく「日本会議」なる団体に対する拒否反応。
それがここ最近のボクの政治に対するスタンスである。

『「日本会議」は、前身団体である「日本を守る国民会議」と「日本を守る会」とが統合し、平成9年5月30日に設立された全国に草の根ネットワークをもつ国民運動団体』だそうです。
日本会議HPより
http://www.nipponkaigi.org/about

役員名簿をみるとわかるように、その構成メンバーには大学教授や著名人とともに神社本庁総理をはじめ宗教団体の幹部がずらり。
気に食わないのはそういった宗教団体の連中が国民運動団体と称して政治に介入しているという点である。

ボクは神社仏閣も好きだし日本の伝統的な宗教観を愛している。
しかし、政治は別。
特定の信仰をもった団体が政治的に特別扱いされるのを認めない。
そこには右も左もない。
価値観の違いを認め尊重することこそ民主主義の基本だと信じているからである。

そして、この団体が熱烈に支持・支援しているのが現政権であり、安倍首相である。
今や自民党の最大の支持基盤といっていいものである。

現行憲法GHQによって明治憲法の規定する改正手続きを経ないで日本で施行されたので無効であり、改正すら不要、法令として守る必要などない。
これが日本会議の考え方である。
先の国会における集団的自衛権容認や安保法改正の際の無茶苦茶はこういう考えなしには実行できなかったことだろう。

公明党の大本である創価学会も元々は日蓮宗、政治に口を出す宗教として開祖日蓮以来政治に口を出すのが伝統でその結果として生まれたのが政党・公明党だと認識している。

信仰とは精神をよりどころにするものであって現実世界とは分けて考えるべきである。
でないと地動説やダーウィンの進化論が異端で焚書、火あぶりという世界になってしまう。
信仰とは事実を事実と「信じる」ものであって事実そのものが別にあることを認めない。
信仰が篤ければ篤いほどそうなる。
宗教団体の特定の考えが政治という現実世界で幅を利かせるというのは百害あって一利なしなのである。
「そんなことありえない」「自分の生活には関係ない」などと思っている人も残念ながら多いだろう。
そうなると彼らの思うツボである。
悪意ある宗教は宗教そのものとしてではなく学問の仮面を被って静かにやってくる。

昨今「聖徳太子はそれほど偉くなかった」という説が流布されている。
聖徳太子が実際どんな人であったかとは別に古くから現在に至るまで聖人として信仰され崇拝の対象になっている。
伝説が各地で語られ、太子の像が仏閣に安置され、祇園祭で「太子山」が出るほどだ。
それをわざわざおとしめる理由がどこにある?
聖徳太子崇仏戦争蘇我馬子と協力して古来の神信仰を訴える物部氏を打ち破ったという。
神道にとって聖徳太子は悪であり、敵なのである。
これはもはや歴史学ではなく宗教上の問題である。
宗教上の極めて主観的な歴史観を権威ある者(大学教授等)を雇って「有力学説」に仕立て上げて学校の教科書を書き換えようとしているというのが私の感想である。

そして森友、加計問題である。
日本会議に関係する2つの学校法人が安倍政権下で我々の血税を食い物にして優遇されていたという疑惑。
(森友は騒動の中でトカゲのシッポ切りのように日本会議を追放されたが。)
安倍政権下で、これまで最高裁判事には2人に1人最高裁が推薦する人物をそのまま採用するのが慣例となっていたのを覆し最高裁判事15人すべてを首相の任命にしようとしているという動き。
きっと憲法学者の多くに安保法案の憲法違反を叩きつけられたからだろう。
そして加計学園監事である木澤克之らが首相任命で最高裁判事の座につき、先の参院選無効の訴えを棄却しているという事実。
こういう学校が日本の教育に占める割合を増せばいったいどうなるのか?
常識などというものは10年そこそこで簡単に覆るのである。
こういうものを見せつけられて森友・加計問題を「たいした問題ではない」などというのは無知…いや、あえて「馬鹿」といわせてもらう。
馬を鹿というのと同じ愚かなことだという意味で。

学問と裁判所で安倍政権=日本会議の支配が進んでいる。
他の場所はどうか?
それがわかるころには時すでに遅し、ではないのか?

今回の選挙において、マスコミはしきりに「三極対立」「保守VSリベラル」を流布しているが、私の行動原理は別のところにある。
「宗教団体の政治的排除」。
特に政治に口を出す日本会議創価学会という宗教団体と、その支援を受けた自公与党、そして希望の党・日本維新の党の排除である。
え?と思う人もいるかもしれないが、希望の党の小池も維新の党の松井も日本会議の支援を受けている者たちであることは疑いようのない事実である。

まさに宗教戦争国難である。
日本が現代の魔女狩りの国にならないように、いくさの覚悟で今回の選挙と最高裁国民審査に臨みたい。