のりりんの京都日和

京都府在住ののりりんの徒然ブログ

年末に考える

例年、時事問題や私生活について、この1年を振り返る日記を書いています。
ことしはそのどちらもいろいろありすぎて困ってしまいます。

時事問題について、ああだこうだとかいたらとても長くなりそうなのでやめにして、ここ最近読んだ2冊の本の紹介でそれに代えようと思います。


日米同盟の正体〜迷走する安全保障」 (講談社現代新書) 孫崎享・著

安保法案で大きく揺れたことしの日本ですが、なぜこういうことになるのか、そもそも日米安全保障条約というものがどういうものなのかという疑問を感じ、この本を読みました。
戦後の日本にはそもそも安全保障に関する戦略がない。
それを研究する人材も、研究機関も存在しない。
そんな日本に対し、アメリカがどのように考えるか。
そりゃあこっちで戦略を考えて相手を引っ張っていく以外にないでしょう?
戦後日本の安全保障の歩みは100%アメリカによって決められた戦略に沿って進んでいる。
戦争放棄憲法から日米安保とその改定、そして今回の安保法案。
これらの路線変更はすべてアメリカの戦略変更があったからこそのものであるということ。
好む好まざるにかかわらず、これが厳然とした事実なのです。

さて、この事実に対して、日本人はどう考えるのでしょう?
今後もアメリカに付き従うべきか?
それとも新たな道を模索するのか?
新たな道を模索するのだとしたら、超大国アメリカに匹敵する、いやそれこそアメリカと一戦交える覚悟で独自の戦略を打ち立てる必要があります。

ボク個人としては、どんなに困難でも、後者を選ぶのが独立国家というものだと認識しています。
つまり、今の日本は独立国家としての体をなしていない。
戦後から70年が経過し、いい加減に日本は独立国家として生まれ変わる必要がある。
そろそろ本気で、真面目に70年前の戦争と今後の日本の安全保障について考えなければ国として生き残ってゆけないのではないか。

戦後70年の節目の年に起こった論議(というか乱痴気騒ぎ)にあわせて、いろいろ考えさせてくれる1冊でありました。


資本主義の終焉と歴史の危機」 (集英社新書)水野和夫・著

「歴史の終わり」という本が10年ほど前にありました(フランシス・フクヤマ著)。
アメリカ型資本主義・民主主義を持って人類の政治形態の進化は終わる、みたいな内容だったと記憶しています。
タイトルは似通っていても、それとは真逆の考え。
資本主義にはフロンンティアとその開拓が必要であるにもかかわらず、グローバル社会がフロンティアを急激に消滅させ、資本主義が破綻しつつある。
そういう状況を中世以降の歴史を俯瞰することで検証していきます。
これで日本を始め世界の、特に先進国で蔓延する格差社会ブラック企業の存在理由すら読み解くことがでるといいます。

先進国では、いち早く民主主義が成熟したため、労働者が賃金アップを主張しはじめます。
企業などは賃金を押さえ込むため海外、いわゆる途上国(フロンティア)に進出する。
この動きはグローバル社会の成熟とともに拍車がかかる。
しかし、進出先でも同じことが起こる。
もはやどこに行っても安価な資源や労働力を得ることができなくなってきます。
フロンティアの消滅です。
そうなると、さらなる富を得る、あるいは他と比べてモノを安く提供して競争に打ち勝つためにどうすればいいのか?
自国の労働者・社員の賃金を減らす、リストラを進めるということになります。

今起こっている日本を含めた先進国の格差社会の蔓延はこうしてできあがるというわけです。
人材を使い捨てにするブラック企業や様々な偽装問題は、こうした流れの中で生まれたと考えると、決して許されるものではありませんが、理解はできるというものです。
資本主義は、より「安く」「大量に」「高速に」を求めて急激に進歩しました。
しかし、それが行き詰まりつつある今、その3つを捨て去る必要がある、資本主義を終える必要があるというわけです。

日本だけではなく、世界が資本主義の終わりという歴史上きわめて重大な岐路に立っているという認識を持って今後の社会について考えるべきです。
場当たり的な(それこそブラック企業や偽装企業のような)対策ではどうしようもない。
これもまた、日本という国の戦略が問われるのではないでしょうか?

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新聞が国の庇護を受ける(税制的に優遇される)昨今、新聞だけ読んでいてもTVニュースを視聴するだけでも世の中はとらえにくくなってきていると実感します。
来年も、今後も日々の生活にただ流されることのないよう、時々立ち止まって深く物事を考えられるようにしたいものです。