第六十三段
後七日の御修法を務める阿闍梨が、武士を集めて物々しく身辺の警護にあたらせるようになったのは、かつてこの期間中に盗賊に襲われたので、宿直人という警護係を物々しくつけるようになったのがはじまりです。1年の吉凶はこの修法のありさまに現れるといってもよいものですから、武士をその場に立ち合わせるというのは穏やかとはいえないことですね。
※「後七日の法要」=例年正月八日から七日間宮中真言院で行われる仏事。前七日の宮中の節会に対して後七日といわれる。
第六十四段
「五つ緒を掛けた牛車といっても、必ずしも乗る人物が決まっているわけではない。その家柄に応じ、最高の位に至れば乗れるようになるのだ」と、ある人が語っていました。
※「最高の位」=それぞれの家の格式によって決まっている昇進できる上限の位。
第六十五段
近ごろの冠は昔のものよりもはるかに高くなりました。昔の冠桶を持っている人は、端を継ぎ足して使っています。
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短いものをまとめて3つ。
いずれも兼好法師の時代の宮中の習俗に関するものですね。
冠といっても種類もさまざま…と思いきや、時代によってもさまざまだということがわかります。
ボクには冠の違いどころか、冠と烏帽子の違いすらよくわかりません(^^;)